――世界は【その形】を変えていく。

 黄色い極光は無理やり地球を取り巻く暗雲を削ったが、

 今の白く柔らかい光は、黒を包み込むように消していった。

 地球を抱く白い光。

 優しく、神聖で、黒とは対極の光。

 世界よ、優しくあれ、と。

 ―― ―― ―― 。

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・西城遊里

 私は白い部屋で目を覚ました。
 呆けるようにしながら周りを見渡す。開け放たれた窓からは子供達の笑い声が聞こえた。雲ひとつなく透き通った赤い空と、熱い光を放つ太陽も見えた。風で白いカーテンが波を作って揺れている。部屋を通り抜ける風はひんやりとしていて気持ちが良かった。
 なくなった片足は義足になっていた。結構高性能な義足だったので、指の動きまで操作できた。

――何故だろう。

 覚醒して最初に浮かんだのは、疑問だった。確かに、撃鉄は降ろしたはずなのに。
 目を閉じる。頭の中にある撃鉄は、何かが挟まって止まっていた。

「キバさん……?」

 あれ……なんで、私、あの人の名前を、呟いたの……?
 風が頬を撫でると同時に、あの時は出なかった涙が頬を伝った。

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・山川海

「カイちゃん、西城さんが目を覚ましたってよ」
「カイちゃんはやめてくれませんか? 山岸さん」

 怪我をした人の治療をしながら、ボクは答える。
 あの戦いの時、ボクと山岸さんは「俺はモクバヨウレン様だ」と名乗る無茶苦茶な男に助けられた。なんでも山岸さんの所属する組織のリーダーだったそうで、その強さはまさに「頂点」という名詞が相応しかった。そしてボクらを囲む影を一蹴する前に、そのモクバさんがよっこらせと降ろした荷物は、なんと片足を失った遊里姉さんだった。ボクと遊里姉さんはモクバさんが影を一蹴した後に、この病院につれてきてもらい、ボクは治療する側、遊里姉さんは治療される側として数日間この病院に留まっていた。

「この人の治療が終わってからです」
「真面目だねぇ、カイちゃんは」

 ボクは何故か山岸さんによく絡まれていた。不快ではないが、少々うざったかった。

「今、うざいって思わなかった?」
「思ってません」

 ボクは平然とした顔で答えながら、患者さんの患部から手を離した。あの戦いの傷痕は、まだ世界から消えてはいないけれど。

「はい、この怪我の治療は終了です」

 ボクはまず、できることからやろうと思います。――キバ兄さん。

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 ――カイは最後の患者を治療し、立ち上がり、ユウリのいる病室へと向かった。
 病院の廊下を一陣の風が通り抜けた。カイの緑色の長い髪がふわりと靡く。

 ――カイは後ろを振り返るが、
 ――そこには誰もいなかった。

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・高橋冴

「よく晴れてる」

 空。
 赤く、澄み渡り、悩み事なんて何もなさそうな、空。

「お前みたいな、空だな」

 穏やかに眠るシュウの横顔に、私は微笑しながら話し掛ける。
 シュウが眠りについて数日。緑の医者にも治せず、青の医者にも原因はわからない。いつまで眠りつづけるのか、わからないシュウ。
 白くシミ、シワひとつないベッドで、緩やかな時を刻むシュウ。

「ま、色々あって疲れただろう」

 花瓶に名も無い花をいける。青い花は真っ白な病室に彩りを添える。

「ゆっくり、おやすみ」

 優しすぎたか。私は軽く後悔する。

 でも、ま、たまにはいいか。私は考え直してシュウの頬を触る。

 そして、あいつの事を、考えた。

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・後片付け

「E地区戦闘、終結しました」
「C地区戦闘、目処がつきました」

「――よし、BにEから人員をまわすぞ。怪我人と報告係は帰還な」

 極光と柔らかい白によってほとんど消えた影は、しかしまだ点々と世界に残っていた。多くは無いが、無視はできない程度の数。しかしそれも、もうすぐ片が付く。
 戦いは確実に終結に向かっている。

「で、ナガラのおっちゃんはなんだって?」

 忙しく指示を出しながら、モクバヨウレンは通信士に尋ねた。

「『若いのに任せる』とのことです」
「ぶっ! ははははは! そーかそーか! おっちゃんも年だな!」

 げらげらと笑うモクバ。

「それとも、出番なかったから拗ねてんのかな」
「そのセリフを言ったら『ボケガキ、寝言は寝て言え』と伝えろ、とのことです」

 お見通しかと、ますます愉快そうにモクバは笑う。

「『了解、無理すんなよ。おっちゃん八十近いんだから』って送っといて」
「はい、了解しました。
 リーダー。余計なことかもしれませんが、ナガラ氏の年齢はまだ五十歳程度のはずですが」

 モクバは笑みを崩さなかったが、

「いや、その数字じゃねーんだ。ま、理解者にしか、わからん数字」

 しかしモクバという人物には似合わなさ過ぎる、少し自虐的な笑みを浮かべた。

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・あの人

 今日も空は真っ赤に晴れている。
 瓦礫の町に動くものはなく。
 コンクリートとアスファルト、黒煙だけの灰色と赤の世界。
 
 世界が滅びかけて、かなり経った。
 青い空が赤に染まって、かなり経った。
 人の声が聞こえなくなって、かなり経った。

 世界はゆっくりと滅びに向かっている。

 崩れかけながらもかろうじて繋がっている橋を渡る。
 崩れかけていてもコンクリートでできた橋は僕の体重なんてものともしない。
 赤い川を眺めながら渡る。

 川原にぽつぽつと花。名も無い青い花が、灰色の世界に彩りを添えていた。
 崩れかけている世界でも、結構強いのだ。
 それがわかるとあの人は、またあてもなく歩き出す。

 照りつける太陽。晴れ渡った赤い空。
 懐かしい風景。むこうにある村。

 ――犬の鳴き声が遠くで聞こえた。

 ――主人の帰りを、ずっと待ちわびた、犬の鳴き声。

     ――This story ends by this.
       ――Thank you for a long time.

混沌の海

 そこは異空間だった。
 そこには、あらゆる要素があって、あらゆる要素がなかった。
 上下がない。左右がない。重力がない。けれど、僕はいる。

 そして、黒部も……いる。

「やあ、親友」
「久しぶり、親友」

 どちらが言ったのか、わからない。どちらが聞いたのか、わからない。でも、それでいいとも思う。

 許されない暴風

 ――まだ……まだ。

 僕は、この為に。

「カミギがきたよ。俺の存在がどうとか、なんとか、言ってたな」
「そんなこと関係ないのにね。僕は僕で、君は君だから」
「そうだよな。俺は心と記憶を研究者に作られた存在だが、君も体は研究者に作られた存在だろう。俺たちの元になった存在(オリジナル)の黒部洋は俺たちとは違う存在だ」
「少し体や心が僕たちに似すぎてるってだけの存在だね」
「俺の体は世界の力で君に作ってもらったし、君の心はあの研究所を抜け出した後に自分で作ったものだろう?」
「僕たちは二つに別れても」
「足りないものを補えた」

 結果、こうして話し合えている。

「しかし……あそこまで世界が……いや世間が……辛いものだとは、思わなかった」
「その時まだ眠っているだけだった君、黒部……は本当は君じゃないけど、ややこしいから黒部でいいよね」
「いいよ」
「その時まだ眠っているだけだった君、黒部の心は」
「モロに影響を受けちゃって、今こうしているわけだ」

 ぐるぐると、禍々しく、憎しみ、悲しみ、黒の感情が蠢く空間。
 ――この空間は、黒部のココロ、色の具象。

「あのときの色が、俺の全てだったからね」
 と言いながら、黒の王は両手を広げた。それに呼応するように、黒い空間が唸る。叫ぶ。訴える。死ね、死ね、憎い、死ね。ホロビロ。

 憎しみの暴風

「そう、これが、俺の全て。君に託された全てが、黒色だったとは……」
「ごめん、ごめんなさい、申し訳ありませんでした」

 それは平謝りするしかない。

「そのお陰で君は『白』になったわけだが……すっかり文字通り、色々染まってしまって……。残念だよ、親友」
「……うん、真っ白ではなくなった」

 突然だが、白の特性は『色の操作』だ。
 発現者の時はただ単に、『染まらない』能力だと思っていた。絶対に傷つかない、失われない、染まらない。そんな、無敵な能力!だと。
 ……まぁ、あながち間違いではなかったのだが。
 その『染まらない』のは白の能力の一つでしかなかった。白の特性は  善良、神聖、清潔、素直、無等などだ。発現者のときは『神聖』や『清潔』辺りだけが発現していた。『清潔』は汚れがなく、綺麗なこと。『神聖』は穢れがなく、尊く、清らかで、冒しがたいこと。うむ、確かに、そう、なのだが。
 矛盾といえば矛盾。白の特性には『素直』や『無』なんてものもある。というか無彩色の『白』自体が、他の有彩色や明度の低い黒、灰色等に染まるために在るようなものなのだ。

 ――色が他の色に染まる。それはまだ、良いのだが。
 その『染まり具合』を操作する、なんてことは不可能である。(と、断言する本人はそれを操作している矛盾。既に僕の手首から先は全部消えている)

 しかし、何故か僕……『白』はそれが可能なのだ。(矛盾)

 今の僕は、大まかに言えば『色』を操作できる。
 触れた『色』を自分の『色』として、使用することができる。
 そして――

 悲しみの暴風

 ――   あれ?

「――お互い、時間がないようだね」

 ―― 結構大事なこと ――   でも

「――そうだね、ヨウ」

「……では……ここに、何を、しにきた? 我が親友、エイスケ?

 ……

 ……僕の、

 ……今、現在、 ――存在する目的。

 ――。

「君を消し去りに来たのさ、ヨウ」

 ――――――――ォォ―――ォォオォ――――ォオオオオオ―――――オオオオオオオオオオオオオオ!

 全身を赤の発現で、フルパワー、全力投球、全力疾走、限界突破。
 幸い、黒色に染まりに染まっているとはいえ、この空間には世界の力が満ちていた。あとは、蛇口をどこまで開けれるかだ。

 ――音もなく、そっと、

 ――僕の全力の、渾身の、一撃が、

 ――ヨウの腹部に入った。

 空間が歪み、黒の背景が歪み、そこから赤き空が、顔を出して、

 暗雲を突き抜けた――ヨウと僕は殴りあう。

 純粋に、ただただ、殴りあう。

 頬にいい一撃が入った。痛いなこのやろう。僕はお返しにヨウの頬に拳を入れる。それをさらに返されて、わき腹を蹴られる。律儀じゃないか、と僕も蹴りをヨウの顔に入れようとして空振り。体制を崩したところに肘が僕の鳩尾に入っていた。僕は吹っ飛ばされるヨウとの距離が空く。全身を包む赤のオーラによって、影でできた暗雲を足場にすることができた。勿論それはヨウも同じ。お互いしゃがむような体制で後ろに滑る勢いを殺し、そして対峙する。

 すっかり夜が明けた赤い空。

 ズキン ズキ暴風ン ズキン

 殴られた痛みじゃないことは、わかっている。

「俺を消し去る、か」

 かなり距離が空いていても、ヨウの明瞭な声は僕の耳に入ってきた。

「――どうしてだ?」

 心底疑問だ、という風にヨウは首を傾げる。

「君が、世界の敵だから」

 僕は当然のように答える。

「君は、不気味な泡か」

 リメイク版では消えるだろうな。その台詞。

「ということは……。君は、世界を守るために、俺を消し去るわけだな」

 確認するようにヨウは言う。

「そうなるね」

 その通りだから。

「おいおい、この世界こんなのにして、」

 ヨウは足場、暗雲を指差した。もしくはその下の悲惨な状況のニホンを指差したのかもしれない。または地球か。

「俺を生み出したのは誰だよ」

 そしてヨウは自分を指差した。僕です。

「ちぇー、やっぱり少しは黒を残しとけば良かったな。『白』だから『善良』ってか?」
「いや、今でも充分、僕は黒くなってるよ」

 忘れがちだが暴風、暴風

 世界の憎しみの声は、絶えず。
 世界の矛盾訂正の力は、絶えず。

(何、自分、見失ってんだよ)

 でも、あの人の声も、絶えず。

「――でもね、ヨウ」

 自然に、声が出る。

「――うん?」

 ヨウは先を促す。

「――僕の為に、怒ってくれた人がいたんだ」

(そーだよ、ばかもん)
 ばかもんって……。

「俺はいつも誰かから恨まれてるけど」

 ヨウはつまらなさそうにしている。

「僕のことを、心配してくれた人がいるんだ」

(背負いこみすぎ。重量過多。肩の力を抜け)

(心配させる方が悪い。お前も、シュウもな) 

 ――あ、良かった……まだ在る。
 初めて怒られて、殴られて、痛かった。でも、嬉しかった。その感覚は、その感動は、まだ、在る。

「……ふーん」

 ヨウは腕を組み、納得したかのように頷く。

「なら、仕方がないな」

ただ、ただ、暴風

 とん、と僕は跳躍する。

(まだ、覚えている)

 消えかけた足で疾走する。

(初めて、僕が生きている人だと言ってくれた人)
(初めて、僕のことを本気で怒ってくれた人)

「僕は、その人を守るために」

 ――世界を守ろう。

 その一言と、拳を、ヨウに叩きつけた。

 ――。

     ピシ

 空気が、凍る。

「随分勝手だな」

 拳は、ヨウに届いてさえいない。

「――ま、それが、人間なんだろうな……。
 しかし、人間は、世界は、今から消える。だって俺は、そういう存在だから、以上」

 黒いオーラは禍々しく、考えられない密度でヨウを取り巻いていた。

 危険危険危険危険

 ズドン

 とてつもなく、痛く、内臓が潰れた、骨が砕けた、全てが壊れた、がしゃん、まだ人間に近い証拠だった。
 腹に穴が開いてもおかしくないほどの衝撃。幸い、腹から向こう側が見えるような状態にはならなかったが、やばい。暗雲の上をごろごろと勢いのまま転がる。この暗雲の影は既に混合してしまったのか、襲ってくることはなかった。しかし、黒い影など、あの一つの存在。黒部ヨウに比べれば

 アラートアラートアラートアラート

 ズゴォ

 後頭部を鷲掴みにされてそのまま暗雲に叩きつけられる。意識が途切れそうになって存在が希薄になる。腕はほとんど消えていた。反撃する手段がない。手がないから。ははは。

 消滅

 僕は頭を鷲掴みにされたまま持ち上げられる。……やばい。

 消える暴風、それを超える暴力

 今の状態で、僕の意識を消されたら。

 確実に僕の存在は消える

 ― 消 滅 ―

 ミシミシと、頭部が圧迫されていく。

「さよなら、親友」

 ――  …… ハァ

 やってはいけないこと。
 世界には沢山あるようだが、本当にやってはいけないことは実は少ない。ある行為をやったときに、取り返しがつかなくなり、後悔してしまうことはよくある。しかし後悔したとしても、その行為はやってはいけないことにならない。やらない方がいいことなのだ。
 だから、その行為自体が決定的な間違い。
 そんなやっては、やってはいけないことは、少ない。

 今、僕はそれを実行した

 一時、赤で塗りつぶした僕のキャンパスに、

 緑をぽたりと、垂らした

 ――

 ―― ――

 ―― ―― ―― 極光

 光。   黄     光。  黄   黄    光。

 赤 × 緑   = 極   光の  黄  色。

 黄黄黄黄黄黄黄黄黄黄黄黄黄黄黄

 日本全 に広がり つあった暗 の 三割が削 た。

 ぼくのそ んざいも けず

   あ            れ?

 駄      だ      世        界  に   代       弁
 を

・『  』

 言葉を失ったシラセの代弁をする。
 シラセのやったことは、色と色との混合である。本来色同士が混合することはありえない。『染まる』ことや、違う色が同じキャンパスで『ひしめきあう』ことはあっても、混合することは、ありえない。 ありえてはいけない。
 その結果がどうなったか。 赤×緑=黄の結果が。
 極光。その極光は全て消し去ったとまでは言わなくても、その効果は凄まじいの一言だった。クロベは消滅一歩手前まで、暗雲は全体の約三割が削れてしまった。当然、シラセの存在は最早シラセと呼べないものにまで減退した。
 さて、ここまでの説明で重要だったのはクロベがまだ消えていなかったということだ。消滅一歩手前と言えども、クロベは生き延びた。クロベという存在は消えてはいなかった。

「が……は……」

 削れた暗雲には所々穴が空いている。だがまだ、全てが消え去ったわけではないと、クロベは再生を試みる。

「おぉお……シラ……セ……」

 傍らに、消えかけているシラセがいる。消えかけた体はまだ薄く発光していた。眼は虚ろで、口は開けっ放し、腕と足はもう、ない。廃人と同じような状態だった。

「エイ……スケ……」

 クロベの声には憎しみも悲しみも世界の声もない。一人の人間、クロベとして、ただ、一言。

「ざん……ねん……だったな」

 ――。

 ――。

「残念……じゃないぜ」

 シラセの動かない口から、はっきりとした言葉。クロベは半分だけになった顔を驚きに変える。

「シラセ……お前、なぁ……」

 シラセは自分で、自分に、話しかけていた。いや、違う、別人が、シラセに話しかけていた。

「まぁ、しょうがねぇか。これが、最後だろ。やるぞ」

 黄色く発光したシラセの体が、     さらに、    さらに、 白に――近づいた。

「二人で姉ちゃん守ろうぜ」

 ×緑×

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 エピローグ・エンディング・後日談・それぞれ へ
・シラセエイスケ

 何故か、このビルには黒い影が入ってこなかった。
 ――カミギが何かしたのだろう。まぁ、このビルは安全。その事実だけで、良いか。
 高橋姉弟を残して、僕はビルの出口に向かう。

 砂嵐

 ―― あれ――   

 思考にノイズが混ざる。げんじつが何かわからなくなる。

 ――いや、大丈夫。

 頭を振る。

 まだ、いける。  多分。

 砂嵐

 『赤』の身体能力強化は全身に及び、感覚も鋭くなる。元々が『赤』ではない自分では、扱えない程の力がまだあるが、今はそれがなくても充分だった。

 真っ黒に染まった出口に渾身の赤の蹴りを入れた。出口の黒がぶよぶよと撓《たわ》み、刹那、恐ろしい数の黒い影に分かれて吹き飛んだ。まだ、混合はしていなかったようだ。
 人間だったモノ達。僕が壊してしまったモノ達。僕はまた、僕のために、キミ達を壊す――。

 砂嵐

 赤い暴風になった僕は、黒い闇をバラバラと吹き飛ばす。何千、何万、何十万。既に空は全て暗雲で包まれていた。暗雲蠢くときに覗く赤い空からの僅かな光だけで視界を確保する。

 砂嵐

 ――オオォオオオオオオオオオ。
 出力を上げる。世界の憎しみが一気に僕の中に流れ込んでくる。構うものか。 ――どうせ。

 砂嵐 憎憎憎憎憎憎憎憎憎

 僕の蹴り一撃で数百の影が一度に吹き飛ぶ。それでも、際限なく襲い掛かってくる影。 我ガ進攻ヲ邪魔スルモノハ許サヌ。 憎しみと悲しみを必死に抑える。もしも今涙が流せるならば僕は血の涙を流していただろう。そんな想像、意味はないが。

 砂嵐 憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎

 出力が上がれば上がるほど、世界の憎しみの声も大きく聞こえる。ああ、死にたい。ああ、ごめんなさい。ああ、許さない。――と。
 その声を、僕は、全て、聞いて。

 それでも、なお――

「やらなくちゃ、いけないことがあるんだ」

 砂嵐 憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎

「だから、もうちょっとだけ、待って」

 砂嵐 憎憎憎憎憎憎憎憎憎

 僕が作り出したようなもの。
 世界の大きな憎しみと悲しみ。
 それを聞いても尚、僕は。
 ――まだ消えてしまうわけにはいかないんだ。

 罪を償う。罪を隠す。罪から逃げる。

 罪の全容さえ知らない僕にできることではない。

 砂嵐 憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎

 黒い影を蹴り飛ばす。数百、数千、数万、数億。
 桁違いの量の混沌。眼を背けずに。 元は人間だった、黒い影達を僕は殺す。

 僕のよう奴でも生きている。だからきっと、今僕が殺している黒い影も生きてはいるんだ。だから、僕は影を殺している。
 ただ、僕自身の目的の為に、僕は影を殺している。その事実は、しっかりと僕の魂に刻む。

 ――でも。

 謝れない。
 償えない。
 許されない。

 ――。

 それならば、全て背負ってやる。
 僕は全て背負ってやる。それでも、なお僕は、生きてやる。
 ――目的の為に。

 砂嵐 憎憎憎憎

 傲慢。無慈悲。一つと無い情。鬼。氷のココロ。人でなし。
 全て、僕だ。それでも。

 ――それでもだ。僕は一撃で何百もの黒い影を蹴り飛ばす。そして殺す。暗雲を切り裂いて、雨を止める。その際にも殺す。

 僕は目的の為に、手段を選ばない。

 ――でも何故か、憎しみの声は遠ざかっていった。

 砂嵐

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 ・山岸の呟き

 先輩へ。えーと、今までありがとうございました。ひよっこだった自分も、ちょっと立派なことができたようです。先輩のお陰です。いや、何せあんなにヘタレだった自分が、ねぇ? こんなことできちゃうとは、夢にも思いませんでした。あ、でも妄想してました。ああ、こんなことできたら格好良いだろうなぁって。
 ――あれ、直接会って話せばいいんだ……何やってんだろ、俺。

「お嬢ちゃん。早く逃げなー」

 上半分だけになってしまった体。腰から下はごっそり黒い影に持っていかれた。視界は擦れる。血が口から流れ出る。血の水溜りで水泳ができそう。寒い。寒い。……痛くはないんだけど。
 緑の髪が綺麗な子供は、俺のかっこ悪い姿を見て固まっている。そりゃそうだ。子供にはショッキングな絵だもんな。
 理解者になれればいいんだけど。俺、発現者でもないしなぁ。

「ごめんな。俺、ここまでだから。もう走れないや。
 先輩格好良かったからさ、俺も何か格好良いことしようと思ったんだけど、似合わんかったかな」

 片足なくなった美人さん置き去りにしてきたし。
 ロクな人生じゃなかったし。
 ――関係ないけど。

「さて、大丈夫。キミの所為じゃないから。俺が勝手にやったことだし。多分他の皆もそうだったと思うよ。憶測。ていうかむしろ酷いのは俺だよ。心的外傷残しちゃったらごめんね。それでも生き延びろって、かなり酷いよなぁ、俺。はは」

 お、首を横に振ってくれたぞ。何処を否定してくれたのかわからんが、嬉しいな。それとも、もう何も聞きたくないというサイン? そうだよなぁ、ちょっと重すぎるか。
 あれ、黒い影襲ってこないな。まぁ、いいや。

 緑の髪の少女は何か謝っている。

「ごめんなさい、ごめんなさい、ボクじゃ、治せない。皆、治せなかった。ごめんなさい、ボク、何も出来なかった」

 そりゃそーだ。俺は納得する。

「そんなのいいよ。てか仕方ねえよ。こんなん治ったら逆に怖いし。えーと、あと、なんだっけー……。お前、まだ、子供だろ? そんなことできなくてもいいし。誰かが守ってやらないと。ま、そんだけ」

 ……

「あー……あと、なんだっけ。そうだ……すんません、先輩。俺、死んじゃいます。でも、ちょっとは生き延びたし……まぁ、いいでしょ。誰か庇って死ぬって一人前っぽくないですか、これ?」

 ――いや、これは確実にあっちで怒鳴られるな……。

『半人前が!』

 そう思いながら、眼を閉じる。

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・シラセエイスケ

 自己嫌悪。

 何が『僕は目的の為に、手段を選ばない』、だ。
 都合のいいこと言って。

   かな   り  削れ  た   ぞ。

 目   的  は  大丈  夫     か。

 暴風

 赤黒茶白赤黒茶白赤黒茶白赤黒茶白赤黒茶白ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ。持て。 持ってくれ。

 新しい世界が自分の中でできそうだ。

 はははははあははははは。

 それで  暴風 自分を保っているなんて  暴風 暴風 暴風 自分は本当に、 暴風 暴風 暴風 化け物だ。  暴風

 ごめんなさい、延長ばっかりで。

 暴風

 本当に、あと少しだから。持って、なんとか。

 暴風 暴風

 死を間逃れない傷を負って倒れていた男の治癒は、かなりの代償を要した。

 暴風 暴風

「大   丈――      ?」

 誰かの声が聞こえたような気がした。いや、気のせいだ。最早、現実世界は空間を隔てた遠い場所に行ってしまった。いや、僕が現実世界から離れた。

 暴風

 ――何が良くなかったかというと。

 影を倒していたときに、カイくんに関する記憶がまだあったのが、マズかった。

 暴風

 それで、影に囲まれていたカイくんを見つけて、助けようとしたのが、駄目だった。
 影は殺せるのに、カイくんを見殺しにはできなかった。(善人気取りか)

 暴風

 カイくんを助けた時に、見知らぬ男が死にかけていたのは、悪くない。仕方が無いことだと思う。

 暴風

 でも、僕が――死にかけている見知らぬ男の為に、カイくんから……『緑』を受け取ったのは、決定的にマズかった。やばい、自分を殺したい。何をやっているんだ。何がしたいんだ。

 ――つまりはそれが致命傷だった。ち め い し ょ う。

 暴風 暴風

 それで、理解者の、桁違いの出力の『緑』で見知らぬ男は完全治癒したわけだ。 満足か、僕よ。そりゃあ、カイくんなら不可能だったけどさ。それでも、これは――ないだろう?  ち  め  い  し  ょ  う  。

 暴風

 果たしてボクはまだ僕なんだろうか、それさえ不確かだが。

 暴風

 白の特性で、褐色を奪い、赤色を奪い、緑色を奪った。
 さらに世界の憎しみで着々と黒に染まりそう。

 暴風

 既に僕というキャンパスの上には色がひしめきあっていた。なんとか、全てが混ざりきらず、微妙なバランスを保って。
 これは奇跡どころじゃない、不可能な話。

 故に、まだ僕は目的を見失っていなかった。これは、幸運だった。奇跡だった。不可能だった。

 今ので、大分、僕の存在が削られた。肩の先、腕辺りからは向こうの景色が透けて見えるぐらいになっているだろう。あーあーあー……。

 暴風

「大――夫   ?    丈   ――夫?」

 …… …… ま、誰かが心配してくれているようだから、ヨシとしよう。

 付近の影を全て蹴り飛ばしたと同時に僕は暗雲へ跳躍していた。

 暴風

 風圧など、自身の中の戦いに比べれば微の中の微。
 重力など、あってないようなもの。

 暗雲は、まるで僕を飲み込むかのように、大きな口を開けた。
 世界は様々な要素から成り立っている。

 希望、絶望、無駄な夢。
 コンクリート、アスファルト。
 人間、犬、猫、ネズミ、牛。
 雑草、クローバー、桜の木。
 空、大地、雲、太陽。

 叶えられること、叶えられないこと。

 人の死、受け継がれること。
 
・組織『赤紅』リーダー 余談

「モクバさん!」
「おーう、どうした」

 振り向かずに通信士の声に答えた人物。短く切られた赤い髪。長身。ハスキーボイス。三十台前半だが、何十回も修羅場をくぐってきた。その鋭い眼は一点を見つめて瞬きもしない。組織『赤紅』のリーダー、木場陽練(モクバヨウレン)はただ存在しているだけでも全ての物質を威圧する。そんな存在だった。

「第六組の偵察班二名。少し前に、連絡が途絶えました」
「……六組。尾田の組か……。
 偵察班……は徳永と山岸だな。
 ――じゃ、俺が探しに行く」
「え? ちょっとモクバさん!」

 え、何言ってるのこの人と、通信士が慌てるのも無理はない。約六十名からなる少数精鋭組織。日本に七人しか居ない理解者の一人、木場陽練が束ねる組織『赤紅』は相当数の黒い影に対抗できる世界でも数少ない組織だ。そのリーダーが、直接、あの暗雲と黒い雨に飛び込もうというのである。

「何言ってるんですか!?」
「止める気か。無駄だな。
 誰にも俺は止められん。
 なぁに死んだり消えたりはしねぇよ。リーダー信じろ」

 言葉が切れた瞬間に、モクバはその場から消えていた。

 通信士は知っていた。過失は、事実を知らせた自分にある。
 通信士は知っていた。モクバヨウレンはつまり、そういう人物なのだと。
 通信士は知っていた。単純な戦闘力なら世界一と言っても過言じゃない男は、消えることはないだろう。
 通信士は知っていた。最も恐るべきことは、そんな木場陽練が、木場陽練ではなくなることなのだが……。

「あの人なら、大丈夫……かもしれない」

 理解者の宿命を、乗り越えられるかもしれない。根拠も何もない。勘に頼った考えだが。
 そう考えながら通信士は、もう一人の理解者に連絡を取っていた。最早小規模の抗戦は限界。宿命に喰われそうな理解者にも頼らなければ、世界は終わるだろう。

 通信士は、今の時代では化石に近い通信器具を取り出した。
「ナガラ ト レンラク トリタシ」

-----------------------------------------

・白瀬英輔

 ビルの外で大きな衝撃。
 でも僕には、時間がない。

「サエさん」
「ん?」
「ありがとう」

 僕が手を差し出すと、サエさんも不思議そうな顔をしながら手を差し出してくれた。本当に、今まで――。

「ありがとうございました」
「何度も何度も言うなよ、照れるだろう……」

 そっぽを向いて、口を尖らせるサエさん。
 ありがとうございました――そしてごめんなさい。

 触れた手と手から、サエさんから、ごおっ、と。暴風が、ただ、自分を消そうとする暴風が。――色が、赤が、力が、流れ込んできた。 白黒茶赤白黒茶赤白黒茶赤白黒茶赤白黒茶赤。ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ。

 凄まじい混沌。

 砂嵐

 ――だが あがが 

 砂嵐

 ……可能なはずだ――。 可能でなければならない。

 精神を集中する。肉体の苦痛に耐える。だが、混沌は肉体にも精神にも襲い掛からない。ただ、本質を攻撃する。
 どうにもできない責め苦。人間では一生理解できない場所の変化。それは苦しみ、悲しみ、あらゆる苦痛となって僕を襲う。慣れなど決してありえない苦痛。世界中の悪と憎しみと痛みが凝縮されたような。死ね、死ぬ。死んだ方がマシだと思えるほどの責め苦。生きている辛さの全てだ。


 砂嵐

 ――色の操作、神の領域。
    操作するなど……
    操作するなど……
 可能にするしかない

 ――アラートがなる。人として危険とかじゃなくて。命が危険とかじゃなくて。もっともっと大事なものが危険。
 僕という僕がなくなってしまう。

 けれど、全面無視。

 砂嵐死ぬ砂嵐 砂嵐ザザーッ砂嵐 砂嵐消える砂嵐 砂嵐ザーーッ砂嵐 砂嵐ザザーッ砂嵐完全消滅砂嵐

「……? シラセ、何を……」

 サエさんの言葉は、僕から放たれた手刀によって切れた。僕の爆発的にあがった身体能力は、サエさんを一撃にもとに気絶させることなど容易だった。

 砂嵐

 僕のオーラは真っ赤に染まっていた。
 ――そこに迷いは、ない。

 ――けれど、サエさんの声はもう聞けない、と思うと、少し残念。

 砂嵐

 さぁ、最後の戦いを始めよう。
 さぁ、長かった苦悩にケリをつけよう。
 自分自身で始めたことは、自分自身で終わらせよう。

 ――時間がない。

 砂嵐

 僕の存在は、指先から、薄くなっていくから。

 最後の戦い ――The last war
・二人組み (徳永と山岸)

 周りは全て黒い影。
 四面楚歌である。
 勿論銃の残弾はゼロ。
 発現者の赤いナイフ一本では打開しえない。
 典型的な大危機的状況。

「おい、ヤマギシ」

 先輩トクナガは、アルミ製のドッグタグを後輩ヤマギシに投げた。ドッグタグは首から提げる認識票のようなものだ。持ち主が戦死して、原型を留めないほど損壊し、外見から個人識別が不可能な状態になっても、ドッグタグが無事ならば個人識別ができる。

「え――先輩?」

 チェーンが澄んだ音を立てながら放物線を描く。組織ではドッグタグの着用は義務付けられていなかった。そのドッグタグは良くも悪くも堅物だったトクナガが、唯一身につけていたアクセサリーだった。

「生き延びろよ」

 ――トクナガは、最期にそう言って、黒い影に呑まれた。

 ヤマギシの手の中には、トクナガの名前が刻まれているアルミ製のドッグタグだけが残った。

-------------------------------------------

・西城遊里

 トクナガは背中からずぶずぶと、身を預けるように、黒い壁に呑みこまれていった。少し残念そうに。だけど潔く。黒い無に消えていった。
 ヤマギシは眼を見開いてその光景を見ていた。私は近寄る影を払うので精一杯だ。残念だが、トクナガの死に何か思う間はなかった。私にも、ヤマギシにも。

 全ての事柄は、一瞬で起こる

 ―― ――まだだ。 まだ、撃鉄は降ろせない。

 トクナガが呑まれた場所に影が集まった為、360度黒ドーム状態の一箇所の密度が小さくなった。それは、本当に少しだった。とても、人一人の命と釣り合うとは思えない。

 だが、しかし、

  苦痛も一瞬、喜びも一瞬

 最早、限界の赤いナイフでそこから隙間を開き、一気に突破する。その際に赤いナイフは完全に消滅した。これで、私達の武器は全てなくなった。

 十年も一瞬、人生も一瞬

 ――ふと、私はバランスを崩した。カイを庇って顔から地面にダイブする。倒れたときの衝撃は、片足に宿った灼熱に消された。――見るまでもなかった。

 私は言う。

「カイを、お願いします」

 ―― 一瞬で、全ては、散る ――

 ――。

 走り去ったヤマギシとカイを見つめながら、私は繋がったと安心する。

 まるで、花火のよう

 なくなった片足。影に囲まれた私。

 確実な、死と無。

 それも、一瞬

 静かに目前まで迫る影。

 人体内水分、空気中水分……高熱物質との接触による水蒸気爆発。圧力。熱膨張。最大爆発規模、範囲計算……完了。二名への影響は微。

 ――息を止めて、目を瞑って。

 撃鉄を降ろすのも、一瞬

 
 キバさん、ごめんね。

 私……ここまでだった。

 ……カチン
・高橋冴

 私は微笑みながら白瀬に近づく。
 白瀬のオーラは黒、白、茶、それぞれが混ざった色。禍々しく蠢いていた。混沌としていた。
 
 なぁ、白瀬よ。(私は微笑む)

  ――ごめんなさい、ごめんなさい。

 うだうだと、(私は白瀬に近づく)

  ――ごめんなさい、ごめんなさい。

 ぐじぐじと、(私は蹴りの動作に入る)

  ――ごめんなさい、ごめんなさい。

「言ってんじゃねーよ!」

 ドゴォ

 私は親の敵よろしく白瀬のボディを渾身で蹴る。変な回転をしながら壁に叩きつけられたのは白瀬。理解者じゃなければ、確実に死んでいた。
 白瀬は混乱している。謝る声は途切れた。ひとまず、良し。

「え、高橋……冴さん?」
「そーだよ、ばかもん」

 バコォ 

 すぐさま距離を詰めて、白瀬の頭に拳骨を入れる。結構痛かったらしく、白瀬は頭を抑えてその場に蹲る。

「何、自分、見失ってんだよ」

 俯いた白瀬の顔を両手で挟むように引っつかんで前を向かせる。私の方を向かせる。私の目を見させる。恐らく、私の額には血管が浮き出ているのだろう。白瀬は目を伏せて、俯こうとする。私はそれを力ずくで阻止する。ぎりぎりと。

「お前は、誰だ。お前の色は、何色だ」
「あ……う……あ……」

 ほーら、『怒りマーク』が増えるぞー。

「お前は、誰だ。お前の血は、何色だ」
「あ……うぅ……」

 ほーら、微笑みが口端から崩れていくぞー。

「何だ、その受け答えは。お前は、三歳児か、コラ」

 ドスを効かせた声にびくりと白瀬が反応する。「恐怖」

「冴……さん?」
「白瀬、お前のことが好きだ」

 白瀬はきょとんとする。「驚き」

「というのは嘘だ」

 勿論嘘だ。

「……」

 はて、残念がると思ったのだが……。「怪訝」

「あの……サエさん?」
「実はな、シュウが死んだ」

 再度、驚き。

「――え? そんな―― 本当ですか?」
「シュウを勝手に殺すな、コラァ!」
 
 バコォ

 二発目の拳骨。「混乱」
 白瀬は混乱する。それは、状況を理解できない事への混乱。私の不可解な行動と言動を解明しようと、白瀬は必死に思考している。それでいい。それが、普通の人間。

「もう一度、聞くぞ。お前、誰だ」
「……白瀬、英輔です」
「お前、何色だ」
「白、でした」
「お前の血は何色だぁ!」
「まだ赤いと思います!」

 何故、そんなことを忘れていたのだろう、という表情の白瀬。
 そうだ、それだけのことだろう。なんで忘れかけてるんだ。お前はごちゃごちゃと考えすぎなんだ。

「四葉の白詰草を見つけるとどうなる気がする?」
「願いが叶うような気がします」
「私の弟の名前は?」
「高橋秋です」
「明日の天気は?」
「わかりませんよ」
「お前の一番の親友の名前は?」
「……黒部洋です」

 ――さて。
 お帰りなさい、と。

「シュウはな、今、眠っている」
「……」
「コンクリートの冷たく固い床で、深く眠っている」

 ちなみにシュウは私と白瀬のすぐ後ろで眠っている。何故かこのビルには影が集まらないから、私が運んできた。勿論呼吸はしている。

「呑気な顔で眠ってるから、さっき一発殴っといた」
「それはひどいですよ、サエさん」
「心配させる方が悪い。お前も、シュウもな」

 出会ったときから、思っていた。

「背負いこみすぎ。重量過多。肩の力を抜け。たまには荷物を降ろしてみて、そしてゆっくり考えてみるんだ。
 周りをよく見てみろ。道はまだあるかもしれない。
 周りをよく見てみろ。色々な人物がいるぞ。
 例えばほら、すぐ目の前に、頼れる人物が……いるだろう?」

 なぁ、白瀬。
 壊れた世界でも、結構広いんだよ。
 壊れた世界でも、私達は生きてるんだよ。

 シラセ。お前も、私も、シュウも、キバさんも、カイちゃんも、ユウリさんも、皆、皆。

 ――人間なんだよ。

           ――Without forgetting.

-----------------------------------------

・白瀬英輔

 罪はなくならない。
 罪は軽くならない。

 憎しみの声はまだ続いているし。
 僕の内側は混沌としていく。

 でも、ひとまず、それらを背中から降ろして、僕は考えてみた。

 ――――。

 ――そうか――うん。

 正解かどうかわからない。正解があるのかさえ、わからない。
 でも、僕は――とりあえず、ここから進めそうです。

「――ありがとうございました。
 サエさんの言葉は、骨身に染みました。流石、年の功です」

 バコォ

 僕は満面の笑みで拳骨を受けた。
 
         ――At that time, he determined it.

         ――At that time, he was him.

・高橋冴

 見つけたのは、

 ――ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい

 
 
 、と。
 
 
 
 ――ただ謝り続ける白瀬の姿だった。

 全く……人間じゃなくなっても、本質は変わらないな。
 私は苦笑した。
・西城遊里
 
 
 
 
 ――        ――   嘘

 ――        嘘

 

 

 ―― 嘘!!!!!

 死んでイル。 ――嘘
 穏やかな表情で死んでイル。 ――嘘
 ボロボロになって死んでイル。 ――嘘

 
 何も語らなかったその人は、 ――嘘
 やはり、何も語らず、いなくなった。 ――嘘

 限りある命を使い切って。 ――嘘

「なん――で?」

 貴方は、強かったのに。
 褐色の能力は、黒い影になんか、負けないはずなのに。
 カイを、 守ったから?

  『違うよ』

 ……誰?

  『やや、これは寄り道だがね。やはり、人は等しく、真実を知るべきだと、思ってね』

 ……誰?

  『カミギ、と名乗っておこうか』

-------------------------------------

 真実を聞いた後に、到来した感慨は『無』だった。
 結局、遠くから聞こえた声の主は何者だったのか、知ろうとは思わなかったし、知ることもできなかったのだろう。
 私にはひとつの成すべきことができた。

 ――それだけで充分だった。

-------------------------------------

 今更ながら、二人組みの先輩の方は徳永《トクナガ》、後輩の方は山岸《ヤマギシ》という名前、なのらしい。
 私達四人はある場所を目指して走る。
 ますます増える影達を消しながら、避けながら。
 「理解者がいるのは本当にこっちですか!?」
 知らない声が教えてくれた、とは言えない。
 「こっちよ」
 トクナガに淡々と答える。
 キバの死体は置いてきた。その場で泣きじゃくるカイはキバから引き離し、今は私が背負っている。二人組みはカイの負んぶを代わると言ってくれているが、カイの動揺は激しかった。私がすぐ傍にいないと、私が触れていないと、壊れてしまうかもしれない。今も私の背中で泣いているカイは、年相応の女の子に見えた。

 とりあえず、生き残らなければ意味がない。
 そして、この状況を突破でき得るのはただ一人だけだった。

 生きているか、死んでいるか、別にして。
 人であるのか、化け物であるのか、別にして。

 ――黒の雨はまだ酷くなる。
 ――彼の死に私は泣けなかった。

 ――カイの可能性を信じよう。
 ――泣きじゃくるカイは、まだ、壊れていない。
 ――この狂った世界の中でまだ、壊れていない。
 ――彼は信じた。

              ――I want also to believe.

・ある死人

 ■ある人間は、力があった。しかし、何も守れなかった。
 ■世界の崩壊、赤い空。家族。妹。友達。隣人。日常。全ての崩壊。一度目の敗北。
 ■全てを失って、自分の力の無意味さに気付いた時、ある人間は絶望した。 死んだ。 終わった。

 △灰になった。

 □ただ、それだけのこと。

 ■それから、彼は何かを守る力に、憧れた。死人なのに、憧れた。
 ■二度目の敗北。守ろうと決めた幼い子供は動かなくなる。
 ■憧れた力を目の当たりにし、彼はその力を持つ人物にも憧れる。

 □そして同時に気付く。自分は、もう破壊しか出来ない存在なのだと。

 △自分はもう、牙でしかないのだと。

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・灰牙(ハイキバ)

 ―― でも、憧れるくらいは、いいだろう。

 カイは黒い影に囲まれて、追われて、体中血と泥だらけになっていた。しかし、その血はカイのものではなかった。動けないほどの傷、存在に関わる傷を負って、カイを背負いながら走り続ける、キバの血だった。

 キバは、三度目の戦いに挑んでいた。

「――! ――!」

 ―― 一度目は世界の崩壊。友人は別の友人だった影に呑みこまれた。妹は両親だった影に呑まれた。自分は両親の影を消して生き延びた。

 背中には、帽子を失くしたカイ。綺麗な緑色の長い髪が風に靡《なび》いている。出会ってすぐに、一回見たきりだったカイの髪は、やはり綺麗なままだった。キバはその美しく、愛しいものを、ただ、守りたいな、(妹を守りたかったな)と思った。だから、走っていた。
 ただ、この子を守りたい。あの人のように守りたい。この子を守りたい、妹のようにならないように。
 キバは、色を失くしていた。シラセに殴られた時に、能力を取られたのかもしれなかった。しかし、それはもうどうでも良かった。もし、色、能力が奪われていたのだとしても、シラセを責める気にはなれなかった。最後に見たシラセの背中は、辛く、悲しく、どうしようもないほど混沌としていたからだ。それに、戦闘、殺すことに特化した能力など、乾ききった色など、なくなっても構わなかった。というかなくなって清々しかった。 

 トン、と右肩の肉が抉られた。また傷が増える。あれ、いつのまにか傷が増えている。

「――!」

 ―― 二度目は今背負っているカイの崩壊。(妹は両親の影に壊された)その時何もできなかった自分の代わりに、カイを助けたソウさんは消えた。そうだった、 憧れはもう、 いないのだ。なら、誰が、この子を、守る? ――決まっている。

 既に体の機能のほとんどは停止している。今在る全ての力は走ること、『守ること』に注ぎ込んでいる。だから、聴覚はとうに死んでいる。

「――!」

 だヵら、背負った誰かの声は、聞こえない。

 ――キバは、三度目の戦いに挑んでいた。

 ふとももを左右抉られた。走るたびに肉が千切れた。眼の前が真っ赤に染まった。死力は尽くした。力は全てなくなった。でも、力を出した。
 出会ったときのカイを思い出した。全てを失った瞳だった。誰かに似ていた。自分に似ていた。しかし違った。
 今オレは可能性を背負っている、未来を背負っている、希望を背負っている。オレはあの時に(妹を失ったときに)終わっているが、カイはまだ終わっていない。これから始まるし、続くのだ。
 倒れそうになる体を『 』で支える。吐きそうになった血を飲み込んで『 』を搾り出す。まだ、待て、まだ、持て、体。
 『 』を使って足を動かす。『 』を使って影の攻撃からカイを守る。

 キバは、三度目の戦いに挑んでいた。

 キバが人生の中で本当に戦ったのは三回だけだった。
 呼吸はとうの前に終わって、血液は半分くらいなくなった。
 思考回路はショート寸前でなんとか止めて、壊れた歯車を無理矢理噛み合わせた。

 死ヌ?

 キバの目の前は、赤から白に、 中心から染まっていく――……

 ――死?

 ――ハ。

 死ナドアリエナイ。
 オレは、既に一度目の戦いで死ンデイタ。
 妹ヲ、失ったトキに、オレは終わってイタ。
 ――遥か彼方、初老の老人が、優しく微笑んで、待っていた。

-------------------------------------

 銃撃と斬撃で周辺の黒い影たちは一掃した。
 そこでユウリと二人組みが発見したのは、

 泣きじゃくる無傷のカイと、

 人として死んでいるキバだった。

-------------------------------------

 キバの血の足跡は、ここで終わった。
 光の中にキバは歩いていく。
 遥か彼方に、キバは歩いていく。
 ――足跡はなかった。

 あっけない終わり。
 無愛想で物静かな青年は、やはり静かに眼を閉じた。

 そこには崇拝レベルまで尊敬していたソウさんもいるし、優しかった両親と可愛かった妹もいる。友人と馬鹿な話をして笑って、世の中に絶望することなく、日常が回っていく。

 『終わった存在』と、『破壊するだけの存在』という意味の名、『灰牙』は――
 ――最後に ―― 一人の少女を ―― 守り通した。

 だから、彼の名はきっと――『灰牙』なんかじゃなくて――――

 
 
 

               ――He smiled at the end.

 ――優しく笑って、光の中に入っていくのは、 だ――れ――?

 ――ソウ――さん?

 ――何を言って――――いるの? ――聞こえ――ません――。

 ――――――――え? ――――――

 ――――――いつかどこか で?

 ――光が薄れていきます。

・二人組み

 最後のスタングレネードで影達が怯んだ隙に、一階に転がり込む二人組み。
「さて、鬼がでるか蛇がでるか」
「何も出なかったら俺達終わりですけどね、先輩。今までありがとうございました」
「不吉に感謝するんじゃねぇ」
 光と爆音が余韻を残して消えていく。怯んだ影は元のカタチに戻ろうと必死になっている。
「正面に人影発見しました、先輩」
「よっしゃお前、見て来い」
「いやっすよー、鬼だったらどうするんですかー」
「説得しろ。 四の五の言ってる暇はないんだよ。生きたいのか死にたいのか俺に殴られたいのか、さぁ、選べ」
 嫌々ながらも他に取るべき行動がない後輩は人影にかけよる。その人影の顔を見て、後輩は驚きの表情を露にする。
「先輩……。美人が出ました」
「おう、そりゃ、ラッキーだったな………………ん?」

----------------------------------------------

・西城遊里

 光が収まる。同時に見えたのは薄暗い天井と。面白い顔をしている男と。無数の黒い影。
 ユウリは男の胸元のポケットから特殊合金ナイフを取り出し(スリ)、強く握った。
「あ、それ、高いのに!」
 無視。
 次の瞬間にはナイフの周りの空気が歪み、白銀の刃に赤みがさした。
 西城遊里の発現――『橙の掌』――手のひらに触れた物の熱を操作する。今更ながら、本当に今更ながら人間&現実離れした能力。急激な温度変化で小規模の爆発を起こすことも可能。その他はややこしいので省く。
 一瞬で形状を保てる限界まで熱せられたナイフは、その存在だけでも気流を乱すほどだった。影は少し怯むが、やはり恐れは皆無。元のカタチに戻った順に、三人に襲いかかる。
 高温になったナイフの刀身を両手で引き伸ばす。特殊合金ナイフは粘土のようにぐにゃりと伸びた。すぐに熱量を抑えて熱硬化を狙う。一瞬の熱間鍛造。ナイフは歪で薄っぺらい、ジグザグした剣のような形状になった。

 ――形状変更完了。

 すぐさま変形しない程度の熱量を歪なナイフに注ぎ込む。薄っぺらな刀身に赤みがさす。が、影を切ったときにこの刀身が折れては何の意味もない。絶妙な刀身厚と熱量を実現。

 刀身に込められた熱量は、影を切断するに足るエネルギー量。

 ユウリは低く構え、威力は高いが軽い剣を横に払った。近づいてきた影は上下二つに切断され、黒い霧になって綺麗に消える。
 ユウリの視界に見知らぬ二人の人間の姿が入った。思考を単純戦闘から防衛戦闘に切り替える。
 影を薙ぎ払っていく橙の美しき女性。踊るように、冷酷に、華麗に、見知らぬ二人を守りながら、赤い剣を振るう。

「フランベルジュを持ったヴァルキリーっすよ、先輩」
「なにそのファンタジー」
・西城遊里 (橙色の人、気絶中)

---------------------------------

 光が溢れています。

 私は光に溶けそうです。

 光に眼が慣れてくると、何故かあの日の光景が浮かびました。

-Lost day-

 私と、キバと、カイ。
 まだ世界に緑が残っていた頃、私達三人は草原を歩いていました。赤い空では太陽があらん限りの光を放っていました。草原を風が通り抜けるたびに、見渡す限りの草原の草が揺れて、綺麗な波形を描いていました。
 草原を海とすると、海に浮かぶ島のように大きな岩がありました。私達はその影に入りました。その頃、まだカイは私達と出会ったばかりでした。感情の起伏は乏しく、眼は虚ろで私達のことを見てはくれませんでした。帽子を深く被り、俯き加減で座っているカイは、泣いているようにも見えました。

 ドスン

 と、私達の後ろで大きな音がしました。私達は驚いて振り返ります。全身黒尽くめの、明らかに怪しい、初老の男性が倒れていました。
 岩の上で寝ていて、うっかり落ちてしまったというその人は、とても優しそうな笑顔を浮かべました。彼は私達三人を見て、ご家族ですか? と言いました。
 私は、いいえ、と答えます。彼は、そうですか、と言ってそれ以上深くは聞いてきませんでした。

 ――突然、辺りが暗くなりました。

 ――――黒い影達が草原(緑)を破壊しながら近づいてきました。

 影との戦いは、敗北でした。
 カイは、死を免れないほどの重傷。
 右腕右足といくつかの臓器を失い、さらに虚ろになった瞳は何も見ていませんでした。
 帽子と服は血に染まり、荒い息遣いは段々小さくなっていきました。
 事故、不注意。それは、いまさら言っても仕方がないことでした。私とキバは何も出来ず、ただ立ち尽くすだけでした。
 そんな中、彼は、ソウさんは、深い褐色の瞳を、カイに向けて、

『まだ幼い女の子を、死なせるわけにはいかないねぇ……』

 優しく、悲しく、微笑みながら、手を差し伸べました。
 スロウモード再生をしているように、暗雲からゆっくり堕ちてゆく黒い影。
 ビルの屋上から一階まで丸い穴を開けて落下し、地面にぺたりと広がった後、人形にゆっくり戻る。そして徘徊する。そんな黒い水滴が、無数。
 まるで、真っ黒な雨のようだ。
 ビルのコンクリートまで溶かす、凶悪な雨。
 黒い水滴に穴だらけにされたビルは次々に倒壊していく。

 黒い雨

 ニホンのビル群都市、かつての首都「トウキョウ」から円形に、じわじわと広がっていく暗雲と雨。

--------------------------------------------

・組織「赤紅」 二人組み

「黒い雨が降ってきたぞー」
「洒落になんねぇっす、先輩」

 こてこての現代武装をした二人組みが、黒い雨の下、ビル群の間を走っていた。

「偵察って死に赴くことでしたっけ、先輩」
「うるせえ、まだ死んでねぇ。死ぬ気で走れバカモン」

 ある組織の組員である二人組みは、先ほどまで行われていたビル群の中での中規模戦闘の捜査と、暗雲の動向の偵察を命じられていた。
 段々激しくなる黒い雨を紙一重で避けながら、二人組みはひたすら走っていた。無線で仲間と連絡をとる余裕はないし、取れたとしてもどうにかなるものではなかった。

「いきなり降ってくるとはな。にわか雨か」
「笑えませんって、先輩」

 二人組みは発現者ではなかった。黒い影に触れただけでも死が確定してしまう。しかも、黒い雨は一旦水溜りになった後、ゆっくり人形になって二人を追ってくる。

「先輩! 一個目、イキマース!」
「派手に行け!」

 閃光&大音響。
 スタングレネードによって影達のカタチは乱れ、一瞬ひるむような様子を見せるものの、その存在が完全に消えることはない。だが、これでも上出来の時間稼ぎ。

「銃はどうですか? 先輩」
「奴等の存在を消すのは無理だ。とりあえず今は逃げに徹しろ」

 二人は瓦礫の山を飛び越え、ひび割れた道路を走り、ある場所を目指す。音もなく迫る黒い影達は、包囲網を縮めていく。遠くではビルの倒壊音。砂煙が立ち込める。混沌としてきた。

「先輩。あの光の矢? のようなものと、その後の爆発や連続した衝撃は、一体なんだったんでしょうね」
「ま、多分理解者同士の闘いだな。あんな現実離れした光景と衝撃はそれしかない」

 手というべきか、触手というべきか。とにかく影は黒いカタチを伸ばして二人組みを捕まえようとする。が、二人は場慣れしているのか、軽々とそれらを避けていく。

「理解者って、生還者ですか? ウチらのリーダーって噂の」
「そうだ。発現者の一段階上。発現者でもない一般人の俺らからすれば、雲上人だな」

 喋りながら走る二人の息は、しかし全く切れていなかった。重そうな装備のままマラソンをする二人組みは、今まで生き残ってきた事実があるだけでも、決して一般人ではなかった。

「先輩。何処かで聞いたんですが、発現者は死にそうになると、理解者……生還者になることがある、らしいっすね」
「ああ、そうだ。『発現者が死に瀕した時、理解者になれる確率』は、『お前がこれから黒い影を一千匹倒す確立』よりも低い、らしいがな」
「ほとんどない。じゃないですか、先輩」

 ああ、そうだ。と答えながら二個目のスタングレネード。
 暗雲はさらに地上に迫り、蠢く黒い影は無数になってきた。

「ニホンでは、理解者は七人しか確認されてない」

 貴重なスタングレネードを惜しみなく数個使い、道を開ける。
 退路は完全に絶たれた。前進あるのみである。

「ニホンで確認されている七人の理解者。カミギ、クロベ、ナガラ、ガカイ、シンカイ、モクバ、ヨウミョウ。
 多分そのうち二人があそこで闘っていたんだろう。ま、うちのリーダーのモクバさんは抜いていいがな」

 目の前にはビル。数刻前に、白い矢が飛び出した、ビル。
 一階部分は風通しがかなり良くなっている。加えて影達が集結中だった。

「うーん、新たに生まれた理解者! という可能性もありますよ、先輩」
「皆無だろ」

 言いながら、二人組みは最後のスタングレネードを、ビルの一階に放り込んだ。
・世界

 地球に張り付いた垢のようなビル群。
 人間が作り上げた文明と建築物。
 それらを掃除するのは、人間の影の部分。
 水泡に帰すのは、人間の黒の部分。

 黒の影。

 一番背の高いビルから暗雲に呑み込まれ、分解されて、消えていく。そのゆっくりと空から世界が消えていく様子は、まるで深い夢から覚めていくような様子にも似ていた。
 人々の中には、その様子に安堵したものもいた。やっと、解放される……。そんな人は次の瞬間に、黒い影と化した。

 理性のない影達は、ある純粋な黒の方向性に従う。集結する。
 かつてはニホンと呼ばれた島国の、全、破壊。
 無数の影の塊である暗雲は、ニホン上空に徐々に広がっている。
 世界を着実に蝕んでいく。

 同時に、人間達も動き出す。
 今起こっているのがどういうことなのか、人々にはわかっていた。

 人類は最早ほとんどいなくなったが、=(イコール)いなくなったわけではなかった。
 組織、都市、町、村、家族、個人。
 理解者、発現者、人。
 武器を持っているものは戦いに赴く。

 大切なものを守る、世界を守る、死にたくない、自己保身、復讐、怨み、強さの追及、意味の追求。
 人々の意志の数だけ、理由があった。

 いかに人としてのカタチを保っている者が少なくても。
 いかに多勢に無勢であっても。

 いかに暗雲を切り裂く一条の光(希望)が見えなくても。

 これは、この時、人類最初で最後のチャンスで。
 そして、そして、人類最初で最後の――愚行であった。

 ――と、後に語られることになるだろう。
 もしも、人類が、『滅ばなければ

・黒部洋
白瀬の消えた世界に意味はない。以上。
・白瀬英輔

 終わる。

 今度こそ、――確実に。

 終わる

 死は怖くないんだ。(嘘だ)

 ただ、自身の罪が怖い。(嘘だ)

 あの日、世界を壊した日。

「世界を壊したい? いいよ、私が協力すれば可能だ」

 たまたま(か、どうかはわからない)出会ったカミギが、そんなことを言うから、僕は、世界を壊した。(責任転嫁)

 黒部が連れてきたと思っていた。――違う、その頃には神木さんのことを忘れていたボクが、自分で、屋上に、連れてきた。
 神木さんの指示に従って、ボクは世界を壊した。
 ボクが世界を壊した。

(イジめられていた、腹いせ? それで、世界を壊そうと、思った?)

 ――ずっと、世界を壊したのは、黒部だと、深いところで安心していた。
 その時はカタチがなかった、黒部の所為だと。

(僕は、深い、深い、心の中で、ソレを望んでいた)

 黒部は世界が壊れたときにカタチを得た。
 暗くて狭い、僕の心の中で、縛られながら、僕の負の感情だけを受けて、真っ黒に染まっていった黒部は、その時カタチを得た。

 僕の黒のエネルギーが、黒部のカタチを作り出した。

 僕の髪は白くて短い。
 彼の髪は黒くて長い。
 けれど、本質の姿形は全く一緒。
 僕はあまりにみすぼらしくて、彼はあまりに華麗だから、誰も気付かなかったけれど。あまりに色が正反対で、気付かなかったけれど。
 僕と黒部は、一緒だった。

 僕の負の感情は黒部と純粋な黒を発現させて、
 僕に残された正の感情は純粋な白を発現した。

 そうなってしまった理由はきっと、僕もグチャグチャの黒色だったから。
 そうならないと、僕は影になってしまったから。ただそれだけ。(保身)
 たまたま可能だった、自己保身。

 ――そう、それだけ。僕は決して、純粋な『白』なんかじゃなかった。ドス黒いものを、黒部に渡しただけの、グチャグチャの黒だった。この世界の影たちと何ら変わらない。グチャグチャの黒だった。

 そうして、ボクは世界崩壊の瞬間を生き延びた。

  ソレ(世界の心臓)を引き抜いたときに、世界のほとんどの人々が影になって、影にならなかったほとんどの人々が、影に殺されたのに。

 世界を地獄にして、自己保身の為に純粋な黒である黒部を生み出したのに。

 僕は生き延びている。
 人間じゃないモノになっても、生き延びている。(自分が可愛いから)

 そして僕は、無意識に、手探りで探していた。この世界を壊してしまった罪を、償う方法を、手探りで探していた。(偽善)
 壊してしまったからには、治すしかない。(取繕い)
 決して治らないと知りながらも。(無駄)
 治そうと、一部分でも、治そうと。
 人を助けて、命を助けて、矛盾<影>を消して、命を助けて、己のみを省みないように。(後ろめたい)
 川に流された犬を助けて、影に襲われた村を救って、黒部に殺されそうになった人を庇って。

 必死に、必死に、

 自分の罪を隠そうとしていた

 ――滑稽だ。

 自身が押しつぶされそうな程、重い罪を、隠せるものか!

 ……ああ、  ああああ! うっ……あああ 、ああうっ……。

 気付けば、泣く。 泣く。 謝る。 何に対して?

 偽善。 罪。 保身。 誕生。 逃げ。

 ああああ…… ああうっ……。

 謝る。 誰かに、謝る。 決して許されない。

 ごめんなさい。 ごめんなさい。

 誰かが、見ている。 誰か、殺してください。 死にたいんです。

 うぅうっ、ううぅ……。

 でも、助けて。 ごめんなさい。 僕は醜い、汚い、みすぼらしい、         価値がない。

 這いつくばって、見えなくなった眼で、探す。
 手探りで探しているのは、生き延びる方法。
 本当に、嫌気がさした。

 自分に、  ―― 嫌気がさした。

 ……――――それでも、 ……うぅっ……うっ…… ……生き延びたいんです。 ――ごめんなさい。

 止まらない涙を手の甲で受けて。

 謝る。 謝る。 泣く。 泣く。
 滑稽な僕。

 ――ごめんなさい、ごめんなさい。

 これが、最期だから。
 カミギコウキさんは満足そうに、つまらなさそうに、笑う。言う。

「今僕が必要としている物。享楽。
 今君が必要としている物。説明。

 思い出したかい。
 いつもイジめられていた、白瀬英輔。
 クローンだった、白瀬英輔。
 オリジナルの記憶で混乱した、白瀬英輔」

――白瀬英輔?

「まだ保つんだよ。君は白瀬英輔だ。

 イジめられて屋上で、一人で誰かと喋っていた、白瀬英輔。
 誰にも見えない、黒部洋と親友になった、白瀬英輔。
 黒部の言葉を代弁して、不良に歯向かった、白瀬英輔。

 ――全部、キミなんだよ、白瀬エイスケ。

 君はいつも黒部を庇って殴られていた、と『思っていた』ようだが、
 実は、黒部は誰にも見えていなかったんだよ。
 故にその言葉を輩達に届けて被害を受けるのは君だけだった。

 そう、黒部は少なくともキミをいじめた輩達の世界にはいなかった。
 かといって、黒部という存在がなかったわけじゃない。
 確かに、君の中に黒部はいたよ」

――シラセエイスケ、ボク。

「さて、世界を壊した、白瀬英輔くん?
 実は黒部が世界に現れたのはその時だ。
 世界が壊れたと同時に、黒部は生まれた。
 いや、カタチを得たが正しいか。

 さて、ここまでにしておこう。
 この事実をもう一人に告げに行きたいからね。

 彼も、何故自分がこの世界を滅ぼしたくなったのか。
 何故白瀬英輔と一心同体に近い感情というか共感を持っていたのか。

 ――そして、自分が誰なのか。

 まだわかっていないらしい」

――

  ――

    ――何故? ソンナコトを知ラセル、教エル、

 何故 ワザワザ コワスノダ!!!!

「特に理由はないヨ。
 こういうのを、享楽というのかな」

 カミギ コウキ ハ 答エルト

 笑っテイル ヨウデ、笑イナガラ 、ボクの前から消エタ。
白瀬英輔

 いつものようにいじめられていた僕は天井を仰いだ。
「生意気なんだよ」
「気持ち悪いんだよ」
 多分、理由はなんでもいいのだろう。誰か弱い生物を甚振れれば。決め付けるのは良くないが、十中八九そうだと思う。
 僕にそんな奴等の言葉を忠告として受け取る寛容さはない。
 窓から覗く青空は広かった。見ているだけでも心地が良かった。
「余所見してんじゃねーよ!」
 それで殴られ、蹴られるわけだが、青空に比べれば僕たちは小さな存在だ。故にこれも小さな出来事だが、不満が溜まらないわけではない。

「恥ずかしくないの?」
 ははは、恥ずかしくないの……? だってさ。僕もそう思うよ。
「君達生きてて恥ずかしくないの?」
 いや、そこまでは思っていないのだが、まぁ、確かにそうも思っているかもしれない。
 何せ、その言葉は僕の口から、発せられていたのだから

 今まで、反抗らしい反抗を示さなかった僕の突然の言葉に、輩達は激昂した。

 思えば。

 黒部は何処にも居なくて
 何処にでも居た

------------------------------------------

 距離感が近いようで、遠い声。
 澄んでいるようで、濁っている声。

「――正解」

 笑っているようで、笑っているカミギコウキ。
・白瀬英輔

 いつものようにいじめられていた僕は天井を仰いだ。
「生意気なんだよ」
「気持ち悪いんだよ」
 多分、理由はなんでもいいのだろう。誰か弱い生物を甚振れれば。決め付けるのは良くないが、十中八九そうだと思う。
 僕にそんな奴等の言葉を忠告として受け取る寛容さはない。
 窓から覗く青空は広かった。見ているだけでも心地が良かった。
「余所見してんじゃねーよ!」
 それで殴られ、蹴られるわけだが、青空に比べれば僕たちは小さな存在だ。故にこれも小さな出来事だが、不満が溜まらないわけではない。

「恥ずかしくないの?」
 ははは、恥ずかしくないの……? だってさ。僕もそう思うよ。
「君達生きてて恥ずかしくないの?」
 いや、そこまでは思っていないのだが、まぁ、確かにそうも思っているかもしれない。
 もちろんそれを忠告として受け取らない輩たちは、さらに激昂した。

 そんなことを言ったヨウを庇って僕はなぐられ……

----------------------STOP--------

 庇って

----------------------STOP--------

 ――ヨウを庇って

 砂嵐

 無理矢理、再生を、

 砂嵐

 止められた僕の記憶《ビデオ》。

 悪魔のようで、天使のような声が囁く。

 「ははは、『生きてて恥ずかしくないの』か、傑作だな。

 さて、誰がそんなことを言ったのかな?」

 それは知らなくてもいいことでしょう。
 ねぇ、コウキさん。一体何がしたいんですか。
・白瀬英輔

「エ……? ア……?」

 言いかけた言葉は、大気に溶けて消えた。
 代わりに、浮かんで、きたのは、

-----------------------------------------

 平和な日々。

 殴られて、いじめられて。 何も覚えてなくて、知らなくテ。
 じんじんと痛む頬を撫でながら、屋上に出た。
 晴れ渡った青空。澄み切った田舎の風。

「毎日、いるよね、君」
 ふわりとした心地の良い声が脳を刺激した。
「青空と、この風がたまらないんだ」
 答えて振り返ると、黒い髪が印象的な、中性的で整った顔立ちの少年が立っていた。
「大丈夫、傷?」
 心配そうに僕の顔を眺めている。
「慣れたよ」
 僕ははにかんだ。

「黒部洋。16歳。独身」
 中性的な顔立ちの彼は、僕がイジめられている、ということを知ってか知らずか明るく自己紹介をしてきた。
「ヨウ? 太平洋の洋?」
「うん」
「そうか、僕は白瀬英輔。ヨロシク、ヨウ」
 即。僕らは友達になった。

 太陽のように、まぶしい記憶。
・白瀬英輔

 自分のカタチがワカラナイ。
 手を見ル、ボヤケテイル。
 眼が悪くなった。チガウ。
 腕がボヤケテイル。あれ、腕ってナンダッケ。
 ――どんなカタチだったっケ。
 右腕がトレタ。

 声がスル。
 近くて、遠いトコロから、
 優しく、厳しい声がスル。

「おーい、まだいるかい」

 こんこん、と頭をノックされてイル。
 うずくまって震えているボクは、自分を保つので精一杯ダ。

「最後かもしれないね、聞きなさい」

 その言葉ハ、理解する前に消えようとスル。必死に言葉を掴ンデ考エる。

 ――聞きなさい。聞ク。聞ケ。

「そう、考えることを、止めないでね。
 君には知るべきことが、実はまだ沢山ある」

 嬉しそうで、悲しそうナ声。
 張り詰めていて、緊張感のない声。

「君は理解者になる前に、自分自身のことを幾つか知った」

 ――それは ボク と、ボクではない 誰か の記憶。

 ――誰か(□□□○○○)

 裕福な家庭。優しかった両親。
 大きな屋敷に、暮らしていた。
 誕生日に貰ったオルゴール。
 幸せすぎた生活。

――誰か の 事故死

 瓦礫や死体、焦げた物、煙、血、塊。
 壊れてしまったオルゴール。
 壊れてしまった誰かの肉体。
 悲しみにくれる、誰かの両親。
 違法、外道、と知りながらも、両親は研究所に注文する。
 愛しき息子(誰か)のクローン。

 ――白い研究所で作られた誰かクローン(ボク)――

 毎日クローン(ボク)の元を訪れる両親。
 白い部屋での日々を過ごすクローン(ボク)
 カラッポな日々を過ごすクローン(ボク)
 研究所所員が話した、誰かの両親の死。
 クローン(ボク)――制作費の支払停止。

 ――クローン(ボク)の処分の決定。

 クローン(ボク)処分寸前、助けてくれた、カミギコウキさん。
 白以外の色を知るクローン(ボク)

 ――外の世界での生活。

 途中まで入力された誰かの記憶によって、混乱するボク
 誰かの記憶に誘われて、屋敷に向かうボク
 そこで大切なことを思い出しそうになるボク
 元所員だったコウキさんに知らされる自身の秘密。
 ボクがクローンであるという記憶と、自分に混乱をもたらす誰かの記憶をコウキさんに封じてもらう、ボク。 ――逃げた、ボク

 ――しばらく普通に暮らすボク。

 都会で過ごすボク。
 田舎で過ごすボク。
 笑っているボク。
 いじめられているボク。

 そこで(学校で)、誰かと出会うボク。

 ――ア?

 その、誰か(□□□○○○)とは、物凄く、仲が、よかったのニ。
 今は、長く、喧嘩、しちゃってル。

 仲直り、 シナキャ。

「必要ないかもしれないよ」

 優しくて、残酷な声。
――そろそろ、最後の真実を明かそう。
 ――完全なる終わりが近づいている。

――理由なき行動。気紛れ。
 ――大丈夫。私は誰より世界を愛し、憎んでいるよ。

 ・神木高貴

 空間の歪みから、カミギコウキはいきなり現れた。
 若いが、若くない。
 男のようだが、女のようでもある。
 強そうで、弱い。
 悪のようで、善である。
 善のようで、悪である。
 憎んでいるようで、愛している。
 愛しているようで、憎んでいる。

 カミギコウキ。

 世界から外れた存在。不定形。気紛れ。
「酷い言い様だな、ナレーション」と苦笑いしながらビルの部屋の端でうずくまっているソレを見つける。
 ソレは褐色のようで、白色のようで、黒色だった。
 世界を愛し、憎み、愛して、憎んでいた。
 半ば狂いかけて震えているシラセは、最早愛すべきほかない。

「ああ、自分が、わからないんだな」

 シラセの耳元でそっと呟く。眼を見開き、頭を抱え、汗をだらだらと流し、何かに怯え、絶えずに震えているシラセ。
 左腕以外は全て修復されているように見えるシラセの中身は、ボロボロだった。黒と白と褐色が混ざり合い、混沌を作り出している。
 それは全く性質の異なる複数の物質の化合を体内で行っているということだ。人間には到底予想のつかない化学反応。シラセにとって「黒白褐」三色の化合という訳のわからない荒業苦行は、人格崩壊並の苦痛以外の何者でもなかった。
 それに加えて、世界中の憎しみの声も聞いているのだろう。
 ばらばらとシラセの髪の毛が抜け落ちる。完全に白色だった髪の色は、黒と褐色が雑に混ざっていた。
 眼球が落ちそうなほど見開いた眼。
 最早人格(シラセエイスケ)は、消えかけている。

「つらいか」

 囁く。

「死にたいか」

 囁く。

 シラセの体全体の震えはさらに激しくなる。嗚咽が漏れ、ばりばりと引掻いた肌に痕がつく。カミギはそれを見つめるだけで、止めない。
 ビルの部屋の端の僅かな暗闇で、シラセは自分が怪物になるのを、止められない。

「――そうか」

 おおぉぉお……。
 そんな、低く、おぞましい声を、シラセは発していた。
 地の底から響くような、悪魔、怪物を連想させる、声を。

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