・黒部洋

 カエルは俺の中の黒を感じたのか、一目散に逃げた。
 やはり野生の動物は鋭い。
 僕は感心しながらまたカエルを追う。
 逃げ回るカエルを、私は容赦なく追い回す。
 そこに深い意味はない。我は、ただ、追いかけたいから、追いかける。
 そのうち、カエルはひっくり返って死んでしまった。
 わしの行動は全て死に繋がっている。
 感慨はない。

 砂嵐。

 雑音と一緒に視界がなくなる。
 同時に人間「黒部」は消える。
 いや、もとより「黒部」などいないのか。

 (オレ、誰だっけ)

 自分が何者か、探る。
 答えは出ない。
・高橋秋

 しばらく、事態を把握できなかった。
 ソウが目の前に迫り、死の一文字が浮かんだときには、白い矢がソウを弾き飛ばしていた。
 白い矢は――シラセ、エイスケ。確かにシラセだった。

 ありえない。視診とはいえシラセの死は確認していた。この青い眼が捉えたシラセはあらゆる要素において「死体」だった。
 いや、この狂った世界ならありえなくはないか。すぐに思考を修正する。空は赤いし、影は人を襲う。話によると、あのソウも一度死んでいたのだ。シラセが蘇る。ありえないことはない。世界が壊れているなら自分も壊れるしかない。
 そう、シラセはソウと同じように、完全な死から蘇った?
 
 蘇った、じゃない、な。あれは、まるで――

 アスファルトを抉る音。
 強烈な衝撃が地面から伝わってくる。
 それが、二度。
 何がどうなっているのか。
 ――知らなければならない。
 渦巻く大気。
 あまりの落下速度に高熱を帯びた僕の一撃は。
 先ほどのクレーターをさらに大きくしただけだった。
 その衝撃はカラダ全体に響いたが、
 最早人ではないカラダを気遣う必要はない。
 砂煙はやはり風圧ですぐに晴れる。

 攻撃を外した原因はわかっている。大振りすぎた。

 いつのまにかクレーターの外に移動していたソウは、おかしなカタチに曲がった首と腕を支えながら、大笑いしだした。

「はははははは! あハハハああハハ!」

 ああ、いらないな。

 この、異常な世界に、
 人間の思考、理性はいらない。
 化け物同士の戦いだ。
 お互い、委ねようか。

「はは……ははは」 

 僕も。
 自然と、笑いが漏れた。
 同時に、吐血した。
 胸の傷より右腕の再生を優先した所為か、胸には大きな穴が空いたままだった。

「ハハハハハ!」

 血を吐きながら笑う。狂った道化の僕。
 血はまだ赤い。それが不思議でたまらない。

 ――まるで人間みたいだ。と他人事のように思う。

 僕の胸には穴が空いたままだ。

 あの日世界が壊れたとき、
 ボクも一緒に壊れたのかもしれない。

 ――――思考、停止。 
・黒部洋

 道端でカエルを見つけた。
 追っているうちに自転車をなくした。

 ……。
・シラセエイスケ

 帰ってきた。
 少し理解して。
 帰ってきた。

 まずは、黒の足を、掴んだ。

 黒の足を掴んだのは、僕の認識では、自分の右腕だ。

 だが、白く輝き、目にも留まらない、ありえないほど伸びて、正に光速でソウの足を掴んだソレは客観的に見れば腕ではなく『矢』だった。
 視界の端に何かが見えた。二つの物体。黒の足を掴んだのはその為だ。が、今は見てはいけないと理性が告げる。

「な、に?」

 ソウの驚きの声は、大気を強引に切り裂く音と、コンクリートをぶち破る音で掻き消された。僕が体当たりでソウを屋外へ弾き出したのだ。
 全身にみなぎる、何かが僕を急かす。

 断罪せよ、憎め、壊せ、裁け、殺せ

 一度の跳躍でソウとの間はなくなり、一瞬の時で舞台はビルの外に移った。その速度は重力を完全に無視している。
 ソウの足を掴んでいた右腕は無理矢理な力の行使の為か、霧散した。左腕は義手の根元がついている為に修復不可能。

「キサマ……!」

 ソウが唸る。
 ならば、
 上空10メートル程度。ビルの5階に匹敵する高さで僕はかかと落としをソウに叩き込んだ。
 突然の出来事に、ソウは成すすべもなく隕石のように地面に落下していった。

 そうだ、憎め、殺せ

 全てがわかる。
 先にこの後何が起こるか認識した後、現象が追いついてくる、そんな感覚だ。
 味わったことのない高揚感。

 そうだろう。
 お前もそうなんだろう?
 ソウ?

 我らは強い

 隕石が地面に衝突した。砂煙は風圧ですぐになくなり、クレーターとその中心にソウが現れる。僕は無理矢理上体をひねり前方に現れたビルの壁(6階外側)に脚を置き、一気にクレーターの中心に向かって飛んだ。
 その時、纏う白のオーラはこれまでになく強く、鮮烈に光り輝いてた。
 僕の髪、瞳は白く染まり、着ている服も色を失くして白になった。
 故に、滅茶苦茶な速度でソウに迫る僕は、

 『光の矢』だ。

 人の時間からすれば、それは1秒にも満たない間の出来事だった。
 人の感性からすれば、それは黒く邪悪なものを神の光の矢が貫いているようだった。

 その一瞬に衝撃を受けたランキングは、

 3位:高橋兄弟
 2位:ソウ
 1位:シラセエイスケ

 だ。絶対。
・シラセエイスケ(シロ)

 既に死体。 けど

 殺セ

 既に全壊。 けど

 裁け

 既に残骸。 けど

 憎め

 漠然と思った。
 起き上がったら、戻れない。再び戻れば、戻れない。
 これは『死』より厳しい試練の道。待ち伏せしている障害が、いくつも連続で襲ってくる、そんな道。

 決して救いはない。
 
 それはもう、人の道ではないのだから。
・黒部洋

 飛行船は飽きた。シラセを探すのには便利だったが、退屈すぎた。

 だから今は、自転車に乗っていた。既に人間じゃない体はペダルをいくら漕いでも疲れなかった。

 カラダは人間じゃなくても、ヨウには何故かココロはあった。欲望があった。

 ――シラセ、どこにいる?

 ――夕暮れが、自転車を漕いでいる中性的な美少年の影を作っていた。何処までも伸びる黒い影。
・シラセエイスケ(?)
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限界に至った堤防は決壊した。
・高橋秋

 おそらく眼の再生は異物(石)を取り除かないと無理だ。少しは時間を稼げるはず。
 姉のショック状態はショックで治した。後が怖い。

 ……シラセはやはり駄目か。

 赤い水溜りに沈むシラセは明らかに死んでいる。もともと色白だった肌はさらに青白くなり、薄く光っているようにも見えた。

 余計なことを考えている暇はなかった。選択肢は一つしかない。姉の手を掴み、闇とビルの群れの中へ飛び込もうとする。
 問題は、

「おい、こら、何をする!」

 姉の手がそれを拒むことだ。

「ヤツは、シラセを殺したんだぞ!」

 今は、逃げるしかないんだよ!

 しかし、それを説得する間はなかった。
 既に眼から素手で石を抜き取ったソウが、その暴力を高橋兄弟に向けて放とうとしていたからだ。
 
 目の前にはスローモーションで、飛んでいるように見える速さのソウ。血の涙を流しながら喜びを隠さない狂気の表情。
 人間離れの超加速と化け物じみた超腕力との掛け算。それではじき出した攻撃の威力。

 確実

 シュウのポケットから石が落ちた。
 その石が地面に落ち、乾いた音を立てた時、二人は肉片に変わる。

52、さざなみ 

2006年5月25日 100題
・真回宗

 それは小さいことだ。
 しかし、ソウは赤の始末をしばし忘れた。

 ソウのあってないような心にさざなみが立つ。

 ソウの左眼には石が減り込んでいた。 
 狙い澄まされたような石の投擲。神業か、奇跡か。投擲者は何十メートルも離れた場所から石を投げ、ソウの眼に当てた。あり得ないことである。
 同時に、(本当に狙ったとしたなら?) ソウは投擲者に興味を持った。これは早々に赤を始末する必要が……。

「姉さん!」

 投擲者(弟)の「声」は音速で放たれ、サエの耳に届いた。声に反応し、サエの体はビクリと大きく震えた。
 少し遅れてソウの右眼には二発目の石が減り込む。さらにソウは、胸をサエの赤の足、しかも渾身で蹴られた。ありえない回転で
ふっとんでいくソウ。
 少々、むごかった。
 ビル内に響くサエの声。

「『姉さん』だと! 『姉』と呼べ!」

 張り詰められていた何かは切れていた。
 再びサエの時間は動き出した。
 そしてサエはもう一言。

「寒気がする!」

 辛辣である。
・死ラセエイスケ

憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎
憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎

狭い路地の前後は全て「憎」の文字で埋まっている。
憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎
憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎

逃れられない。
憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎
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・高橋冴

 今も。

 少しずつ消えていくシラセの血煙。広がる赤い水溜り。水溜りに沈んだ、青く冷たくなっていくシラセの亡骸。気絶しているが呼吸はしているユウリ。破壊、戦い、死を求める黒く禍々しいモノ。

 サエの時間は止まっていた。

 人の温かさを持たないソウの手に首をつかまれ、そのまま持ち上げられる。死が直面しても、サエの時間は動かない。
 シラセの時間が止まったとき、サエの時間もまた止まってしまった。

 それほど、親しかったわけでもない。

  私の前にでるシラセの背中。、何故、そんなことを?

 無論、好きだったわけでもない。

  誰かの為に命を迷わず投げ出すシラセ。、何故、迷わないの?

 シラセのこと、深く知っていたわけでもなかった、……けど。

  何かに一途に、意志を曲げなかった、シラセ。、どうして?

 どうして?
 彼の死は、驚くほどあっけなかった。
 彼は本当に、死んでしまった。
 彼はあまりにも、報われることがなかった。

 彼のことを、遂に深く知ることはできなくなってしまった。

 そう思ってしまってから、サエの時間は止まった。

 そして、そのタイムラグは致命的だった。

「つまらないな」

 ソウは言いながら、赤の発現者の首を絞める手に力を込める。
・高橋秋

 大きな爆発の直後。高橋秋はカイを抱えてビルの外、闇の中を走っていた。闇の中に聳え立つビルの群れ。その中の一つの壁にヒビが入っているのを見つけ、すぐさまそのヒビの中心に駆け寄る。
 キバは背中をビルに預けて気絶していた。

 キバの体の損傷箇所は二十九。シュウはその中でかなり重いものを青の眼で弾き出す。内臓損傷、骨折、……四箇所。すぐさま治癒しなければ命に関わるものもある。

「カイくん。骨や内臓の修復は? 治癒の範囲は?」

「欠損修復は無理。 損傷修復ならできる。
 外傷はすぐに、骨と内臓なら程度にもよるけど骨のほうが早く直せる。
 治癒の範囲は手のひらが精一杯、体内の治癒には接触部分から力を流し込む。直接触れるより力が弱くなる」

 的確。驚いた。知りたいことを簡潔に素早く話してくれた。
 仲間が傷ついた直後、今すべきことを正確に把握している。シュウは過酷な環境に鍛えられた子供の悲しい強さを知った。

「ここを頼む」

 キバの傷が最も効率良く治癒される部分に、カイの手を置かせた。流石にどこまで効果があるのかはわからないが、今はこれが最善であるはず。
 シュウの処置は正確である。緑(カイ)の治癒能力は高いが、診断能力で青に敵うわけもない。緊急に処置を要する状況では、正確な診断ができるかどうかが肝要になる。医者としての総合能力は青のほうが高いのだ。
 時間にわずかだが余りができた。シュウは周囲の状況に眼を配らせる。青い眼は、闇の中でも人の色を感知した。
 先ほどの爆発を起こしたと思われる橙は少し力が落ちていた。その代わり、黒も多少のダメージを負っている。赤は健在。白は相変わらず弱々しいが存在はしている。
 余計な感情を排除し、状況のみを淡々と認識する。
 今すべきことは何が最善か。無意識、猛スピードで判断をくだす。シュウの思考は反射に近くなっていた。
 「冷静」、これは青の最大の武器。
 シュウはそう思っている。だからこそ、何も見逃すな、集中しろと自分に何度も言い聞かせる。

「う……」

 キバの意識が戻る。すぐさまシュウはカイの手を移動させる。今、キバの傷の完全な治癒は目指していない。キバには酷だが、どのように治癒すればいかに早く戦闘に戻れるかを優先している。あの黒は自分などでは相手にならないし、ダメージを追っていたはずの黒がいつのまにか元に戻っていたからだ。

 そしてその黒が赤に向かって肉薄したのも確認。予知めいた動きで赤の前に立つ白も確認。消えかけていた白が遂に消えたことも、……確認。
 
「……」

 感情は排除しろ。
 お前は青だ。今、この場、最も最善は何だ。
 弱々しく笑った白瀬英輔の姿など心に浮かべてはいけない。

 無表情で噛み締めた唇からは血が流れた。
 考えろ、冷静に。

 黒の眼中に橙はない。白は消えた。次は、
 間に合わない。告げる青の眼と思考。
 それでも、シュウは姉の居るビルの方向から眼を離せない。
 戦闘能力のない俺がいてもどうにもならない。高確率で足手まといになる。キバの最速の治癒が今やるべきこと。一人でも多く死なないようにするため、最善なのだ。

 シュウは瞬きを忘れた、一心に理論、理論詰めか、何もできやしない、白瀬を殺した、違う、自分を責めている場合じゃない。

「……行け」

 意識の戻ったキバから、死ね、と同じ言葉が発せられていた。しかし、シュウはその言葉を聞いたと同時に走り出していた。
憎め、憎め、憎め、憎め、憎め、憎め、憎め、憎め

……
夕暮れに染まった校舎

憎め、憎め、憎め、憎め、憎め、憎め、憎め、憎め

放課後の屋上

憎め、憎め、憎め、憎め、憎め、憎め、憎め、憎め

あの日、世界の心臓を抜き取った日から、

憎め、憎め、憎め、憎め、憎め、憎め、憎め、憎め

僕は何かに縛られた

憎め、憎め、憎め、憎め、憎め、憎め、憎め、憎め
憎め、憎め、憎め、憎め、憎め、憎め、憎め、憎め
憎め、憎め、憎め、憎め、憎め、憎め、憎め、憎め
いつのまにか映画館の闇の部分には無数の眼。
どれも暗く怪しく光り、僕を見つめている。
世界を埋め尽くすほどの黒い影達の憎悪の眼だ。

――その実は、助けを求めている。

助けて、死にたくない、生きたい。
戻りたい、人に戻りたい、戻りたい。
失った悲しみ、苦しみ。
存在することの悲しみ、絶望。

ああ、これが「世界」なんだな。
漠然と認識する。

「お前の中の□□□○○○の記憶は調整して抑えてやろう。
 お前がお前として生きていけるように。
 これ以上の説明は無駄だから省くぞ。
 どうせ忘れる」

コウキさんがそう言っていたことも思い出した。

「……ま、思い出すこともあるかもしれないが」

その後普通の学生になったことも思い出した。

僕、シラセエイスケは。
左利き、トマトが好き、音楽も好きだった。
夜が苦手だった。虫も苦手だった。
学校が好きだった。休日が好きだった。
毎日を生きることが楽しかった。

世界を壊したあの日のことも思い出した。

――自分がクローンだったことも

何か、大切なことを、忘れているような

憎め、憎め、憎め、憎め、憎め、憎め、憎め、憎め、憎め

思考が切れる。

憎め、憎め、憎め、憎め、憎め、憎め、憎め、憎め、憎め

その声は、魂の奥底にまで響く。

憎め、憎め、憎め、憎め、憎め、憎め、憎め、憎め、憎め

憎め……
完全にスクリーンの僕に引き込まれた僕は我を取り戻す。
映画館のカタチは今にも崩れそうになっていた。
突きつけられた、事実。
変えようのない、過去。

しばし、呆然とする。

その後、呪詛。

死ね。助けて、死んでしまえ。何故お前だけ、壊れろ。死にたくない、壊れてしまえ。助けて、呪われろ。助けて、呪われてしまえ、死ね。壊れろ、憎い、男、女、蹴落とす、全て、助けて、人間にくい、壊れろ、死ね、死ね、助けて、戦争、死ね、肉、死にたくない、臓器、骨、死ね、人、直して、壊れろ、破壊されろ、助けて、壊れろ、死ね、呪われろ、殲滅、破壊、治して、後悔、懺悔、死、愚か、愚鈍、血、死ね、壊れろ、呪われろ、世界、宇宙、破滅、絶滅、死滅、死ね、人間、壊れろ、壊れろ、死ね。死んでしまえ。壊れろ。壊れてしまえ。呪われろ。呪われてしまえ、死ね。壊れろ、憎い、死ね。復讐、逆襲、死んでしまえ。壊れろ。壊れてしまえ。呪われろ。呪われてしまえ、死ね。助けて、壊れろ、憎い、死ね。死んでしまえ。壊れろ。壊れてしまえ。呪われろ。呪われてしまえ、死ね。壊れろ、憎い、死ね、死ね、死ね、死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死

何処からか溢れてくる感情。
心、魂の声。
呪いと恨みと助けを求めるSOS。

黒い、どす黒い感情。
黒い、どす黒い声。
何故、自分だけ。
何故、お前は。

お前も憎め

……

復讐しろ

……

人の命を弄ぶ

……

物<金>の為に

……

お前を作り出し

……

お前を処分しようとした

……

神を冒涜する行為、エゴ、命を弄び、物欲に囚われた、醜い動物

……

憎め、人を。身勝手な、無知、無恥、無心、無礼、無様、無道、無為、愚かで、呪われるべき、死すべき、

……

憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め

……ああ、これが、

殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ

今の世界の声か……
・真回宗(シンカイソウ)

赤い花を咲かせながら、飛ばされることなく静かに倒れ、血の海に沈む少年。
心臓と肺を一度になくした少年。
私が殺した、少年。

血の海の中で静かに少年は死んでいた。
痙攣もなく、穏やかな死に顔で。

その死に様を見て、私は久しぶりに感動を覚えた。
痙攣がない、少年の肉体は生きることに執着しない。
穏やかな死に顔、少年の精神は死ぬことを恐れていない。

素晴らしい。
その潔さ、その意志は賞賛に値する。
五体満足で戦ってみたかった。
必死に生にすがる姿も見てみたかった。

――まぁ、良いか。
所詮、済んだこと。
彼は運が悪かった。
ここで、ゲームオーバーだ。

――同じように、誰かを救うために、死んだ男がいたこと。
腹に穴を開けて、腕と足を失い、それでも尚、その誰かを救えて「良かった」と思っていた。そんな男がいたこと。
一瞬、脳裏に浮かんだ。

しかし、どうでもいいことだった。

――その男は死んだのだから。
今と思い出との区別がつかない。
コウキさんはゆっくりと歩いて近づいてくる。

――クローン――

 記憶 両親が笑顔で近づいてくる。

「……君はどうやら、記憶が混乱しているらしいな。
 まぁ、記憶の調整前に世界に触れたのだから、無理はないか」

頭痛と吐き気。
君は誰だ。 

――――クローン

 記憶 お父さん?

「君はこの家の長男、□□□○○○と全く同じ肉体を持つモノだ。
 しかしな、いくら肉体が全く同じでも、記憶は全く同じにはできない。
 生まれてから見たこと、聞いたこと、感じたこと。
 さまざまな要素から作られる繊細な記憶と人格は完璧に複製できない。
 出来上がるのは似て異なるものだ。もう少し時代が変わればわからんが。
 それでもあの夫婦は、長男と同じモノを作って欲しいと私達に頼んだ」

コウキさんは無表情の中に笑いを浮かべる。
僕は、クローン?
僕は、□□□○○○の複製品?

 記憶 事故。泣き叫ぶ人々。地獄

「作られた記憶を持つクローン。
 それが、君だ。
 まぁ君は少し特殊なケースだったな。
 後は記憶の調整だけで完成、というところで料金の支払いがストップしてしまってね」

研究所での記憶。

---------------------

(あの夫婦、事故で死んでしまったらしい)
(は? おい、残りの支払いはどうなるんだ)

無機質な声の会話が聞こえた。

---------------------

……そうか……。

「うむ。
 君が完成する前に夫婦は死んでしまった。
 長男が死んだ事故と同じような事故でな」

……僕のこの家での記憶は、作られたモノなのか……。
……確かにある作られた両親の記憶。
しかし僕は、両親の死を聞かされても他人事のように感じていた……。
それは……両親の記憶も作られた記憶だと知ったからだろうか。

――いや、僕には本当は両親などいないのだ……。

「売れない商品は処分される。
 どんな高級なソファーでも座る人がいなければそれはソファーじゃない。
 ただの塵なのだよ。
 だから君は処分されることになった。
 そこを私が助けたという訳だ」
冷たく澄んだメロディーは教えてくれた。

オルゴールを両親から受け取った僕。
気恥ずかしくも喜んでいた僕。
オルゴール……小さな箱をお守りのようにいつも持っていた僕。
そしてその後の

災厄

傍から見れば、事故だったんだろう。
だが、僕からすればそれは災厄以外のなんでもなかった。
霞んだ視界には瓦礫や死体、焦げた物、煙、血、塊。
そして僕は漠然と何かが失われたことに気付く。
どうしようもないことに気付く。
痛みはなかった。

その災厄、事故によって、
オルゴールは、鍵が壊れ、
僕は……死んだ。

死んだ

教えてくれた、オルゴールが
僕が?
死んだこと

霞んだ視界に映る地獄を思い出せた。
なのに僕は、そこで僕が死んだことを確信している。

なら、今の僕は何者なんだ?
待て、それより、何故僕のオルゴールがここにある?

簡単なことだ。

ここは僕の部屋だった。

頭が混乱した。
吐き気と頭痛が急に僕を襲う。
そうだ、これは僕の妄想だ?
何が?

これは、僕のオルゴール。
死んだ僕……違う、あいつ。
死んだあいつは、僕。
ならこれは、死んだあいつのオルゴール。

ゴンゴンゴン

ハンマーが脳を揺さぶっている感覚。
考える、人らしいことが、できない。
解ろうとすればするほど、わからなくなる。

「いつかはこうなると思っていた。
 ……うむ。
 これはこれで、興味深いかもしれない」

頭を抱えて振り返る。
部屋の入り口には、僕を助けてくれたあの人。
生気のない眼、捉えがたい性格。
既に世界から外れているような違和感がある人。
それでもこの人、神木高貴(カミギコウキ)さんは僕の命の恩人だ。

「薄々感づいているとは思うが
 この部屋の持ち主は死んでいる」

やはり。
やはり……?
それを何故僕は知っていた?

「写真を見て、鏡を見てみろ」

先ほども見た、写真には、笑う子供。
鏡には、その子供が成長した姿。

……  ……え?

僕は、その子供が成長した姿。
だよ。

「○○○……聞き覚えがあるか?」

いつか、白い部屋、研究所で。

--------------------

(息子よ……よく生き返ってくれた)

少し年をとった男性の声。

(ああ、○○○……良かった……)

少し年をとった女性の声。

----------------

「○○○、お前の名前だ。
 ……いや、違うな。

 本物の名前というべきか」

……オルゴールの冷たく澄んだメロディーはいつのまにか止まっていた。
変わりに僕の脳内には、地獄を連想する壮大な曲が流れ始めた。
何かが壊れる音や姿は芸術となり得る。

「順を追って話そうか。
 この家の持ち主の苗字は□□□と言う。
 資産家の家主に妻、長男の3人暮らしだった。
 家主は厳しく、妻は優しかったらしい。
 長男は母の血が濃かったらしく、美しい容姿と綺麗な心を持っていた……。まぁ、それはどうでもいいか。
 ある日、その長男が事故で他界した。
 ここはその死んだ長男の部屋だ。
 その壊れたオルゴールは死んだ長男に贈られた物だよ」

無表情で、淡々と、コウキさんは語る。

「まぁここまではよくある話だ」

世界が変わる一言。
古い世界は音を立てて崩れ去る。
止まらない崩壊は僕という人格をも攫おうとする。

「悲しみに暮れる両親はどうしたと思う?」

世界が変わる一言。

「作ったんだよ、その長男を」

世界が変わる一言。

「君はクローン技術によって生み出されたこの家の長男のクローン
 複製品だ」
ジジジ

胸に大きな穴が開いた。

僕はもう助からない。

これが、最後。

最後の記憶の映画館。

スクリーンに映るのは豪華な洋館。
そして、その時の僕は思う、帰ってきた。
ここが、玄関、むこうが、キッチン、あっちが、リビング、あっちがトイレ、あっちが僕の部屋?
……何故だ。
こんな豪華な洋館、初めて来た、はずだ。
広い玄関には誰もいない。
少し、寂しかった。

何かに導かれるように、僕はある部屋に向かった。
その部屋のドアに触れると、また、意味の解らない懐かしさが脳に染みていく。
ドアを開け中に入る。
部屋の内装、空気に、より一層、懐かしさを感じた。

……。

やはり、僕はこの洋館に来たことがあるのだろうか?
いや、僕は来たことがないはずだ。
何故かそう断言できた。

部屋の内装は質素だった。
置いてある物は少なく、生活感があまりない。
廊下の方が豪華なくらいだった。
置いてあるのはベッドと鏡、箪笥と写真立て、そして小さな箱だけだった。
大きな窓からはテラスと青空と太陽が見えた。

まず、僕は写真立てを手に取る。
二人の夫婦の間に、子供が一人、笑顔で映っている。
父親はいかにも資産家、母親の外見は若く綺麗だった。
二人とも柔らかく笑っている。
間にいる子供も屈託のない笑みをカメラに向けている。

二人の夫婦の笑顔に、何故か胸が痛んだ。

この広い屋敷に、親子三人だけで暮らしていたのだろうか。
だとしたらこの親子は今、どうしているのだろう。

次に小さな箱を開けてみた。
しかし、鍵の部分が壊れかけていて中々開かなかった。
試行錯誤を重ねているうちに、中から冷たく澄んだメロディーが聞こえ始めた。

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