ヒュゥ

俺は素早く息を吸い込み、次の敵の動きに備えた。
青の目はすでに発動していて、この状況と敵の理解に尽くしている。
敵は黒スーツを着こなした初老の男性。
カラーはおそらく黒。破壊力危険。
何故カラーが黒で理性と肉体がある? 黒部と同種?
辺りはビルの廃墟とアスファルトの道路。
少々の霧。
今のところ、逃げ切るのは、不可能。
姉は数箇所の骨折と内臓損傷の恐れ有り、シラセは

「青の弱点は深く考えすぎるところだな」

初老の男性が残念そうに言った。
一瞬ともいえない間の思考は、どうやら致命的だったようだ。

高橋秋の思考はそこで途絶えた。
夕暮れ時。
医者を求めてビルの廃墟が並ぶ町を歩いてた時。

「姉よ、上だ!」

シュウさんの叫びにより、上空からの奇襲を避けたサエさんは、避ける際ソイツをおもいきり蹴った。
大気と地面が震えるほどの衝撃と音。
しかしソイツは、サエさんの光速の蹴りを、軽く片手で受け止めて平然と立っていた。
サエさんは目を見開いた。

「いい蹴りと……色だ……だが、まだまだ足りない」

隕石のように空から落ちてきて、サエさんの蹴りを受け止めた黒スーツ姿の男は、残念そうに首を横に振ると、空いている方の拳をサエさんの腹部に当てた、ように見えた。
次の瞬間、サエさんの体が嘘のように吹っ飛んだ。
衝撃音と何かが折れる痛々しい音とともに、崩れかけたビルの壁に叩きつけられたサエさんは、「ぐっ」と呻き声を漏らした後、ひざをついた。
そのまま立ち上がろうとしてバランスを崩し、サエさんはその場に倒れ、うずくまった。

それはスローモーションのように、一瞬で起きた出来事だった。
この頃、カラスをよく見かけるような気がした。
かなりの数のカラスが、静かに僕のことを見つめている。
僕がそれに気付くと、バサバサと羽音をたてて、一斉に飛んでいく。

赤と灰色の世界にカラスの姿はよく溶け込んだ。

黒部との戦いから一日後。
なんのあてもなかった僕にシュウさんは一言。

「医者を探す」

今の日本に病院という超テクノロジー建築物はない気がしたので、せめて医者を探す、ということらしい。

「お前の体、自分では気付いていないかもしれないけど、ボロボロだよ」

シュウさんは労わるように言った。

……さて

それから今まで、1週間の間に、形を保っている人間に何度か出会った。
比較的、ここの地域は無事な人が多い。
環境が良いのだろう。
はっきり言っては悪いがここは田舎だ。
都会ほどの便利さがない代わりに、それを補う為の経験を積むことができる。
生きるための経験はその人の色をより一層鮮やかにする。
都会の人々は、便利、快適……幸せを求めすぎたばかりに、不幸になる。
偏食、運動不足、ストレス、病気、etc...。
何十年も前から知られていることだが、人々はそう簡単には変われなかった。

結果、ほとんどの人間の色が黒く染まってしまった。
そして世界が変わった日。
自らの色、『黒』の特性、「破壊・吸収」によって理性と肉体を失って……黒い影になってしまった。
これは噂で余談だが、黒い影の発生率が最も高かったのは病院らしい。

カラスがまたこっちを見ていた。
カラスの姿は真っ黒だった。
しかし彼らは自分の姿を保っていた。

(君達は、姿が黒でも、黒じゃない。
 それぞれの色を持っているのか……)

カラスはカァーと一鳴きすると、赤い空に舞い上がった。
黒いシルエットがくっきりと、赤い空に映る。
夜空を見上げていると、流れ星が……。

(人々が幸せになりますように)(シラセ)

(もっと強くなる)(サエ)

(病院が見つかりますように)(シュウ)

(シラセシラセシラセ)(クロベ)
興味もある。

この細い体の少年。
白瀬英輔(シラセエイスケ) (16)
身長 169cm 体重55kg
左腕義手、喉に異常有、その他機能障害、負傷箇所多数。
体は強靭にできている。
しなやかで、強い。
だが、その力は負傷や機能障害の所為で発揮できていない。
死線も幾度か潜り抜けている。
黒の影を倒せる。
「死」に対する恐怖がない。

このまだ幼さの残る少年に今まで、何があったのか。

俺の中の青は、白瀬英輔とは関わらない方が良いと計算している。
俺の青の能力は冷たい。
何故そうなったのか、過程が全くわからないのに、青は答えを出す。
しかしそれがどうしてそういう答えになったのか、過程への疑問に答えは出ない。
簡潔で、およそ間違いのない答えだけが出る。

まるで結果以外はどうでも良い、という風に。

俺の能力は、冷たい。
すっかり暗くなった空を見上げる。

「シラセ、上を見てみろ。星が綺麗だぞ」

本当に綺麗だった。
少しかすれた声で「え?」と言って、シラセも上を見た。

「わあ、すごい、宇宙ですね」

シラセは、無邪気でかすれた声を出した。
宇宙。
物凄い表現の仕方をするな。
夜空、とかの方が……。

「え? 宇宙でいいじゃないですか。宇宙のほうが……ゴホッ」

シラセが、2度、3度、咳き込む。
その咳に少し血が混ざっていること、それを俺たちに隠していること、知ってるぞ。

言わないけど。

「す、すみません……」

シラセは話の途中で咳き込んだことを、恥ずかしそうにして、微笑む。

本当に、気になる。

一体、どんな環境で、どんな日々を送っていけば、君のような色、人格ができる?

疑問はまだあるが……

今は。 それより。

それを隠しとおせると思っているのだろうか。
それがやさしさと思っているのだろうか。

シラセ、君は確かに強い。

右目で星を見ることができなくなって、右耳で音を聞くことができなくなっても、微笑むことができるのだから。

そして俺の能力は冷たい。

シラセの余命は半年だと、簡潔で、およそ間違いのない答えを出している。
闇の空間。
居心地は良い。
だが、物足りない。

人のカタチに戻るのに……まだ数時間、
抜け出すのには……数日かかる……。

土砂崩れ……谷……
くくく……面白かった……が……
あの……青…… 必ず壊す。

---------------------

後ろを振り向いた。
一部が崩れた山は遠く、見えない。





虹を見た後、高橋家に行くことになった。
見事に土石流によって全壊していた。
怒り狂うかと思われたサエさんは、少し目に涙を浮かべて、

「今までありがとう」

と言って礼をした。

「姉よ……気を落とすな」

シュウさんは神妙な顔つきでサエさんの肩に手を置いた。

「形ある物はいつか色褪せて……崩れる。
 そう……家も……山も……人も……もちろん姉も」

「…………とりあえず死ね」

※省略

「これから、何処に行くつもりだ?」

はい、旅にでも出ます。
あてもない旅に。

「違うな、もっと力が必要なんだろう?」

……流石、姉弟だ。
半端な嘘どころか、些細な嘘も時々見抜かれる。
今、土石流から脚だけをだしてぐったりしているシュウさんの青の眼ならともかく、サエさんはまた違う何らかの方法で僕の些細な嘘を見破った。

「図星……だな。
 また、あいつと戦うつもりだろう?」

高橋姉弟には嘘をつけない。
ちょっと微笑んで、僕は歩き出そうとした。

「待て……。
 …………やる」

え?
すみません……。
よく聞こえませんでした。

「力が必要なら、力が足りないなら、補えばいいだろう!
 ……私が力になってやる!」

サエさんは言い切ると、耳まで顔を真っ赤にして、いきなり脚だけ出ているシュウさんに向かって走り出した。
僕はただ、驚くばかりである。

「何をやっている! シュウ! さっさと起きろ!」

言いざま、土石流ごとシュウさんを蹴り上げる。
土や岩とシュウさんが宙に舞い上がる。

「姉よ……俺を土石流に突っ込んだのは姉だよ。
 それと、照れ隠しに人を蹴らないでく……

最後まで言えず、シュウさんは地面に激突した。
砂煙が辺りに漂っている。

だ……大丈夫ですか……。

「大丈夫だ、慣れている……。
 俺も力になるぞ、シラセ。
 まず、姉の弱点はな……」

そういう力になられても……。
シュウさんの後ろには逆光によって表情が読めないサエさんが立っていた。





黒部の声が聞こえたような気がした。
僕一人では、また止められなかった。
力がまだまだ足りない。
また、後ろを振り向く。

赤く長い髪をしばり、ラフな服装で颯爽と歩いているサエさん。

「勘違いするなよ。
 私がついていくのは、これは、あれだ。 助けてもらった借りもあるしな。
 もっと力をつけてあの黒部とかいうやつにリベンジもしなければならないんだ。
 決して勘違いするんじゃないぞ!」

は、はい……
戸惑い気味に返事をするしかない。

顔に所々あざと腫れができていて、上半身より大きいリュックを背負って今にも死にそうな足取りのシュウさん。

「姉は年下との恋でも覚えて、もう少し女性らしくなってくれるといいのだが……」

こうしてまた、シュウさんのあざが一つ増える。

……足りないなら、補えば良いだろう。

夏。
セミが五月蝿く鳴いている。
赤い空が一層世界の温度を上げている気がする。
陽射しが肌にちくちくと突き刺さる。

黒部、また、力を……

そして「仲間」を集めたら……

今度こそ、君を、止めるよ。

久しぶりに、僕の心は晴れやかだった。
2030年 違う日本

 3/14 田舎の学校に白瀬英輔(シラセエイスケ)(16)転校する。『清らかな友情↓』
 3/15〜 白瀬に対するクラスメートのイジメが始まる。
 3/21 白瀬、黒部洋(クロベヨウ)(16)と屋上で出会う。
 4/12 白瀬、喉の異常に気付く。
 4/17 黒部、世界の正し方を歌う。『↑清らかな友情』 

 4/24 世界が変わる。 『風呂の栓が抜けると』
       ・空が赤に変わる。
       ・「色」が発現しやすくなる。
       ・黒部と中年が消える。

 5/24 白瀬、子犬を助ける。『赤空↓』
 6/17 白瀬、古藤枝理(コトウエリ)(16)と出会う。
 6/18 白瀬、「黒い影」に襲われた村を助ける。
    その際、左腕を失くす。『赤空↑』
 6/21 白瀬、左腕を義手にする。
    ポチを置いて、白瀬は一人、村を出る。『1.暁』
 6/24 白瀬、老人(64)と出会う。『2.椅子』

 7/1  白瀬、高橋秋(タカハシシュウ)(18)、冴(サエ)(28)姉弟に出会う。『5.道路』

    白瀬、黒部と再会。戦闘により、右腕を失う。『9.鏡』

    おいかけっこ、シュウの発現、土砂崩れ(端折ります

 7/2  現在に至る『14.虹』    

……カレンダーじゃなかった!!!!!11
ぽつ、と冷たいものが顔に当たった。
……水滴?
意識が覚醒していく。
いつのまにか雨は止み、正面からは太陽が昇り始めていた。
周りは土色だらけで、木々の緑や茶色はすっかりなくなっていた。
僕は記憶を探り、何が起こったのかを理解した。

……シュウさん、サエさん!?

「無事だよ」

シュウさんは太陽の光を正面から浴びながら、泥だらけの顔で笑っていた。
……良かった……助かった……でも、何故?
後ろを振り向くと、巨大な大木が僕たちを守るように立っていた。
土砂崩れをものともせず……。
先ほど当たった水滴は、大木の葉から落ちたのだろう。

……

ありがとうございました。

ペコリと木に向かって頭を下げる。

「どうしてこの木だけ平気だったのか、とか思わないのか?」

木一倍、丈夫だったからでしょう。

「なんでそんな木の場所がわかったとか……」

青の眼を使ったんでしょう。

大体は、解る。
細かいことを言えばまだまだ疑問はあるが……。

助けてくれて、ありがとうございました。
シュウさんにも礼を。

「どういたしまして……」

シュウさんは照れくさそうに言った。

僕は土砂崩れが起きた直後、何かが切れたように意識を失ったらしい。
疲労が溜まりに溜まっていたのかもしれない。

シュウさんの傍らにはサエさんが目を閉じて眠っていた。
……サエさんはまだ、起きていない。

「……姉の寝顔は結構可愛いと思うんだが、シラセもそう思わな……」

すっと芸術的なパンチがシュウさんの頬に当たった。
と思った瞬間、シュウさんは宙に浮いた。

「……でも……起きるとこうだもんなぁ……」

シュウさんは言いながら吹っ飛び、大木にぶつかって倒れた。
姉を背負って、どしゃ降りの雨が降る中、森を走り回り、土砂崩れに遭った挙句、殴り飛ばされたシュウさんの目には、薄らと涙が光っていた。

「……誰が可愛いって? シュウ」
「そこ、怒るところですか、姉よ……!」

サエさんのお目覚めです。

その後僕はサエさんに、いかにシュウさんが頑張ってくれたのかを、こと細かに、時には誇張を含めて説明した。(途中、「何! この土砂崩れを起こしたのはお前か!」 と怒りだしたサエさんを止めたりした)

「……まあ、シラセが言うのなら本当だろうな……」

「何、信ジラレナイって顔してるんだよ。
 弟を疑うのはひどいぞ。いきなり殴るのもひどいぞ」

いつのまにか、霧のような雨が降っていた。
が、太陽はさんさんと輝いている。
所謂、キツネの嫁入りだ。

「頂上まで登った方がいい」

と、言うシュウさんの後に続き、不安定な斜面をあがっていく。
シュウさんは極力、なだらかで崩れにくい道を選び、登っているので助かった。

……一つ気になることがある。

黒部はどうなりましたか?

「黒部は……ちょっとした谷に落ちたはずだ。
 土砂崩れの速度、方向も計算したからな。
 人間ならまず生きてはいない……はずだ。
 数メートル落下して、その上土砂が降ってくるんだから。
 ……けど、」

生きている。

「リベンジできるな」

サエさんは不屈だ。

「やめときなよ、姉。
 負けたじゃないか」

そしてシュウさんは同じ過ちを繰り返す。

「私は負けてなどいない!」

赤く晴れ渡った空に向かって、シュウさんは殴り飛ばされた。

少し雲はあるが快晴。
しかし青ではなく赤い空。
その原因の一端、黒部は生きている。
そう聞いて、僕は少し安堵した。

ほとんどの森を削られた山の頂上に出た。
正面には小雨と太陽の光のコラボレーションによって、巨大な虹の橋が架かっていた。
バケツをひっくり返したような雨が降っている。
……こころなしか雨の勢いがまだ増しているような。

「まさにこの雨は天の助けだな。
くくく……」

シュウさんはニヤニヤ笑いを隠そうともせず、嬉しそうに言った。
僕はその言葉に同意しかねたが、眼も開けられない程の雨が降り、人一人背負い、黒部に追われながらも、なおこの余裕。
どうにかできる。
シュウさんには何か確信めいたものがある。
確実に、黒部から逃げ切れる方法がある。
漠然とそう思った。

「ああ、この雨は俺たちが逃げ切るには絶好だ。
 が……運を天に任せる部分がかなり多い!」

たはっとお茶目に笑うシュウさん。

僕は天を仰いだ。
なんてこった……。
結局運任せなのか……。

「この世に完璧など存在しないんだよ。
 天は自らを助くるものを助く。
 きっと大丈夫。逃げ切れるさ」

失敗すれば天に召されることになるだろうね。

「成功すれば天にも昇る心地……だろうよ」

なるほど。
しかし……
衝撃音や何かを引きちぎる音、なんとも表現しにくい、一言で言えば破壊音が後方からやってきた。

「おお、おお……自然破壊しながら追ってきたぜ。
 きっとヤツには天罰が落ちる」

同時に、ゴゴゴ、と神の怒りのような地鳴りが聞こえた。

「そこは天の怒りにしようよ」

どっちでもいい。
地鳴りにわずかな地震が加わり、右腕がないのでバランスがとれず、倒れてしまいそうだった。

「まだ大丈夫……まだ大丈夫」

そう言いながら、シュウさんはいきなり方向を変えて、黒部のいる方向を向いた。
え、ちょっと待って……

「もちろん自殺しに行くわけじゃない。
 黒部より下側の斜面を走り抜けるぞ。
 幸いあいつの移動速度は化け物じみてない。
 死ぬ気で走れ!」

確かに黒部が人のカタチを保っているならば、それも可能だろう。
……運を天に任せる。
とにかく今は、シュウさんの言葉を信じるしかない。
(特に逃げ切れる の部分)

-------------------

色がついている。
それだけのことで、いちいち森を破壊しながら進まないといけないのは面倒だった。
黒部はイライラしながらも破壊をやめなかった。
森の木々をひたすら折り、倒し、根こそぎ引き抜き、破壊した。
破壊、破壊、破壊。
本能、いや、自分の色に従うまま、破壊破壊破壊。
木々を壊すたびに泥がはねる。
どしゃ降りの雨を冷たいと思う感覚はない。

破壊。

急にうっすらと見えていた青が方向を変えた。
こっちに向かってくる。
何故?

まあ、いい。 とりあえず破壊だ。

---------------------

腹をすかせたライオンの前を横切る心境だ。
木々の間から一瞬、禍々しく黒い存在が見えた気がした。
見えた。見えちゃったよ。
高橋秋は内心穏やかではなかった。
色が青……理性、冷静を表すと言っても高橋秋は高橋秋だ。
ということで、怖いものは、怖い。

ひたすら、懸命に走る。
ライオンから逃げる草食動物の心境だ。
シラセは後ろをぴったりとついてきている。
青の眼で見ると、華奢に見える肉体が、どれほど鍛え上げられたものなのか、傷ついたものなのか、解ってしまった。
シラセは限界が近い。いろいろな意味で。
しかし、今はそれでも、シラセがついてくることを信じるしかなかった。
雨はますます増した。
土の性質や木々の種類、山の地形。
そして黒い奴が自ら破壊した木々。

天を仰いで唾する。

まさに自業自得だ。化け物。

3

雨によって地面には水が染み込み、土を支える植物の根が大量に失われた。

2

それによって地盤がゆるみ、
まあ、簡単に言えば

1

土砂崩れが起きた。

後編に続く(待
冷たい水滴が顔に当たった。
雨だ。
思いのほか水滴は重く、痛かった。
雨粒が大きい。
湖に波紋が増えていく。

「相手は化け物でも……」

少し考え込み、シュウさんは真剣な顔で僕に言った。

「ま、逃げることは可能だろう」

……

ザッ、と一気に雨の勢いは増し、湖で大量の水滴が踊る。

「まずは、こっちだ」

シュウさんはサエさんを背負い、森の中に再び入った。
僕もそれに続いた。

「どうするんですか?」

あまりに確信に満ち、迷いのない顔で行動をするので、口を挟むつもりはなかった。
しかし、気になる。
あの黒部を、どうするのか。

「どうやら俺の能力は……知恵の向上……っぽい」

本当に向上したのだろうか?

「何故か自分の事はわからないけど……
 黒い奴がここから東南2320mのところまで迫ってるってこと、
 正確にこっちを目指していること、
 この通り雨はあと24分ほど降り続くこと、
 この山の地形、姉とお前の健康状態、ぐらいはわかるな」

なるほど。

逃げるのには最適ですね。

「そういうことだ。
 ……これだけ近いと黒いヤツが俺たちに追いつくのは時間の問題だ」

ふらふらの僕と人一人背負ったシュウさんでは、ね。

「そうだ。
 だから、悪あがきをしてみる」

シュウさんは上をちらっと見て、いたずらを考え付いた子供のように笑った。
森の道は突然のどしゃ降りによってぬかるみ、滑りやすくなっている。
が、どうしてかシュウさんは足場の悪い道を選んで進んでいる。
シュウさんの青い眼はぬかるんだ道など見てはいない。
違う何かを見ていた。

「あいつの速度は……今後の雨の量……方向……風ナシ……樹木、根、角度、重さ……可能性……うん、いける」

シュウさんの『青』がますます深い青になった気がした。
「シュウさん?」

「シラセ、分かったよ。俺の色が」

シュウさんは恥ずかしそうにこちらを振り向いた。
黒かった瞳が青に染まっていた。

「青ですか」

「ああ、青だ」

「髪を青く染めていたから、知ってるんじゃないかと思っていました」

「いや、これは地毛だ」

さて、どうしようか。
状況を整理すると……
僕は黒部を探していたが、サエさんの強力な発現により奴からやってきた。
黒部を探す手間は省けたが、奴は躊躇せず僕以外の人間は壊すだろう。(あるいは僕も壊すかもしれないが)
それは絶対に、避けなければならない……

と、いうことで二人を守ることに。

現在は消えているとはいえ、サエさんの発現は強力すぎた。
いくら距離があり、発現が衰えていたとはいえ、ここの場所が感知されている可能性は高い。
黒部が森を破壊しながらこっちに向かって突き進んでくる際の破壊音、衝撃音が今にも聞こえそうだ。
予想外のアドバンテージは、シュウさんの発現だ。
能力次第では助けになるかもしれない。
しかし、助けにならない可能性も高い。

結局、一番確実な方法は……

「シュウさん……」
「駄目だぞ」

まだ何も言ってません。

「姉があの時何故キレたのかわからないのか?
 足止めする? 右腕がない、左腕が義手、体中傷だらけのお前に、その役が務まるとは思えないぞ。
 あの黒いのは、化け物だ。
 戦える相手じゃない。
 そもそも、会ったばかりの俺たちに、お前は何故そんなに体を張れるんだ?
 一歩間違えてたら死んでたぞ、お前? 
 ……それとも自分は死んでもいいなんて思ってるんじゃないだろうな?
 いや、思ってるな。
 他人同然の俺達を、命を賭して守ろうとする。
 右腕を失って体中から血が出て今にも倒れそうで……ボロボロになっても、お前はまだ俺たちを助けようとしている。
 シラセ、お前は何故そんなことができる?」

……罪から逃れる為……

いつのまにか暗雲によって月と星は消え、辺りは真っ暗になっていた。

「とにかく、俺たちの所為で、お前が死んだら後味が悪い。
 死に急ぐような真似、言動は二度とするなよ?」

「……すみません」

いつのまにか出るようになっていた声で、謝る。
本当に申し訳なかったが……。

「うん、でもお前はこれからも、人を助けるだろうなぁ……体を張って、命を賭けて」

全てを見透かしたかのように、苦笑いするシュウさん。
青は、冷静、知性、探知、観察。
見破られているのだろう。

「色々言ったけど、俺も姉も、感謝はしている。
 助けてくれて、ありがとう。
 だからこそ、死なないで欲しい」

少し心が温まったが、まぁ、天候は悪くなっていくばかりで……
シュウさん?

辺りには虫の音もなく、静かすぎる夜だった。
風も全くなく、湖面どころか空気にも波は存在していない状態だ。

異常なほど張り詰めた空気。

シュウ……さん?

声が出ない。
動くこともできない。
湖面をじっと眺めるシュウさんは、深い考え事をしているように見えた。

----------------------------

高橋秋は、自分に呆れていた。

姉とシラセが何故あんな力を発揮できるのか。
何故自分は見ているだけだったのか。
自分は一体何色なのか。

解った。

解ったとき、それがいかに簡単なことで、つまりすぐ解るようなことだったのかも、やはり解って、

呆れた。

色は、力は、いつでもあったんだ。

俺の中に。
心の中に。
姉に。
シラセに。
空に。
湖に。
世界に。

それをただ、認めるだけでよかった。

この限りなく青の特性に近い空間のおかげで、俺の本当の色が解った。
それは、
静寂、沈着、深遠、冷静、清涼、知性、理性。

だ。

完全に、青だ。

認識する前の俺は、そんなこと夢にも思わなかった。
姉と同じ赤だと思っていた。
彼女の色に憧れていたのかもしれない。

だが、俺は青。
認めよう。
そして、守ろう。

高橋秋は、何故か涙を流していた。
涙の滴が湖面にゆっくりと波紋を広げた。
同時に高橋秋の眼にも青が広がっていった
猛スピードで木の幹が通り過ぎるたび、物凄い風音が耳に入った。
家の裏手にあった山に入ってから、数分。
サエさんは、僕とシュウさんを抱えて、時速100kmぐらいの速度で視界の悪い森を走り抜けている。
流石に息は切れ切れで、赤の発現も弱くなってきている。
『色』は人間の内から出てくるもので、決して無限ではない。
発現を続ければ、当然疲れる。
そしてさらに発現を続けると……

「サエさん! 発現を止めてください!
 下手をしたら、貴方は消えますよ!」

そう、僕の右腕のように。

「サエさん!」

一刻も早く止めないと……声は何故か伝わっているはずなのに!

「ああ! もう! 五月蝿い!
 シラセ! お前、自分の右腕消えてるのに人の心配なんてするな!」
「えぇっ!」

何故か怒鳴り返されてしまった。

「お前、自分の命をなんだと思っているんだ!」

何故ここで僕のことが出てくるのだろう?
それより息を切らし、赤の発現を維持し、猛スピードで走りながらも、大声で僕を叱るサエさん。
貴方も自分の命をなんだと思っているんですか!
誰かを助けようとして、叱られた経験は初めてなので、驚いて声が出なかった。(元から出ないが)

「はは! 姉を本気で怒らせるなんて、やるな、シラセ」
「死ぬか? シュウ」
「ごめんなさい、お姉さま」

突如、視界が開けた。
目の前に現れたのは、綺麗な丸を描いた静かな湖だ。
赤黒い空と月と星を映し出し、まるで濃い血を湛えているようだった。
ある種幻想的で、サエさんの動きも一瞬止まった。
その隙に僕は無理やり降りた。
シュウさんはゴミのように落とされていたが。

「発現を止めて!
 黒部は強い色を感知してここまで来たんです!」

故に、これまで僕は派手な動きを避けてきたのだ。
サエさんの発現の強力さは完全に予想外だった。

「黒部……先ほどの黒い奴か?」

また、赤が激しく発現しようとした。

「わーっ! 待って! 待ってください!
 来ます! 来ちゃいますから!」

極限慌てていると、ふと、サエさんが倒れた。

「わ! わ!」

慌てて抱きとめる。
と言っても右腕がなくなっていたことを忘れていたので、バランスを崩して僕も倒れてしまった。

「わ! わ! シュウさん助けてください!」

返事がない。

「シュウさん?」

--------------------

高橋秋は湖から眼を離せなくなっていた。
計算されたような美しい円を描いた湖辺。
磨き上げられた鏡のような湖面。
何故か、目を離せなかった。

濃い赤を映した湖の奥に、
何故か、深い青を見た。

沈着、深遠、冷静、清涼、知性。

青が広がる……
心臓が早鐘を撞くように鳴っている。

彼は相変わらずの中性的で整った顔立ちをしていた。
黒いスーツを着こなし、長い黒髪と黒い瞳に他の色は混ざっていない。
人の形はしているが、それはまさに、
完全な黒。完璧な黒。純粋な黒。

黒部……洋!

ヨウのとる行動は分かっていた。
最短で動かなければ、防ぎきれない。
上空戦闘後の着地の際に生じる、ほんの0コンマ数秒の隙で、奴は確実に彼女を破壊する。
いくらサエさんが超身体能力を誇っていても、隙がある時に攻撃されては、ひとたまりもない。

ヨウは右腕をサエさんに向け、薄く笑いながら唇を動かした。

ヤットアエタネ

刹那、黒部の右腕が一瞬で黒に染まり、物凄い速さでサエさんに向かって伸びた。
一瞬で30メートル以上も伸びた黒い腕。
常識が通用しないのか、この男は!
サエさんを庇い白の右腕で黒い右腕を受ける。
衝撃。
轟音。
と共に白と黒の点滅が視界を覆った。
脚は地面にめり込み、右腕は激しく震えた。
まるで黒いビーム砲を受けたようだ。
黒のエネルギーが僕の右腕にふれる寸前で白によって分散し、黒い糸となって様々な方向に流れた。
右腕が衝撃によって震えるのを必死に押さえ、肩が外れそうになるのを堪える。
黒い糸のいくつかが僕の体に小さな穴を開けたが、今は構っていられなかった。
僕の背後にいたサエさんの反応は素早かった。
彼女は全身に広がろうとしていた赤を両脚に集中させ、一気に黒部に向かい、跳躍した。

が、逆に彼女の素早すぎる行動が、
駄目だ。

僕はあまりにも速すぎる彼女を止めることができない。
眼で追うことしかできず、次の瞬間、ヨウに黒の左腕で貫かれるサエさんが脳裏に浮かんだ。

右腕をやる!

強力な白光。
僕の白の明度と彩度が、つまりは力が一気に跳ね上がり、右腕はカタチを保てなくなって消失した。
次の瞬間、白のエネルギーが黒のエネルギーを弾きながらヨウに向かって一直線に伸びた。
先ほどのヨウ式黒の右腕砲とは比にはならないほど強力なエイスケ式白の右腕砲を、僕はヨウに向けて放った。
今まさにサエさんを壊そうとした、ヨウの表情は……驚愕と……喜びが同時に浮かんでいた。
ヨウはまともに僕の白の右腕砲を受けて、ありえないほど回転しながら吹っ飛んでいった。
僕の右腕はなくなり、少し熱を帯びたのか肩口から煙が出ている。
捨て身は成功だ!
だが、時間稼ぎが精一杯だ。(右腕一本で済んだのなら安いが)

素早く行動しなければ。
声が出るとか出ないとか、関係がなかった。

「逃げろ!」

声として出たかはわからなかったが、確かに伝わった。
サエさんはすぐに動き、シュウさんを脇に抱えて、僕の傍にも来た。
その際、僕はもう少し時間を稼ぐと伝えたはずなのだが、黙殺された。
体から重力の感覚が消えて、次に物凄い風圧を感じた。

流石にサエさんでも、大の男二人を抱えてヨウから逃げ切るには、無理がある。

僕を置いていってください。

……伝わっているはずなのだが。

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「効いた……! 効いたよ……白瀬英輔!」
白の衝撃によりカタチが保てなくなり、黒が体の所々から噴出しているのを気にも留めず、黒部洋は笑いを堪えていた。
「渾身、捨て身の右ストレート……良い! イイ!」
黒部は耐えられない、といった様子で体を仰け反り、頭を掻き毟った。

少し見ないうちに、凄まじい成長を遂げている。
それでも尚、白を保ち続ける。
白瀬英輔。

黒部は彼に好意を超えた感情を抱いていた。
少しの間そうしている内に、体はすっかり人のカタチを取り戻した。
黒いスーツも汚れ一つ付いていない状態に再生された。
「やはり、シラセ……エイスケは、世界の、滅亡のために、俺に、僕に必要だ……」

違うだろ?
ピタ、と黒部は動きを止めた。
真っ黒な心の中に黒と自分を映した鏡を見つけた。
鏡の中の黒部洋は否定をしていた。
違うだろ?
鏡はすぐにヒビが入り、砕け散った。
違うだろう?

8、夜 【よる】

2006年4月11日 100題
不思議。
感情が高揚している。
それを冷静に認識している私、高橋冴がいる。
物凄い数の黒い影がいる。
上下前後左右360度全てが影で、少し間違えば、死ぬ。
今までにない危機なのに、心の奥底から、力が湧き上がってくる。
勇気、情熱、活力、興奮。
真っ赤に染まった脳内。
今までにない高さの集中力、認識力、判断力。
……今なら何でもできる気がする。

下から突き出してた影の手を蹴り飛ばし、その反動で回し蹴りを放ち、後ろにいた影達を蹴り飛ばす。
上からの攻撃を上体をひねってかわし、自分の落下運動を利用して下から迫る影を蹴り飛ばし、その反動でまた上昇する。
上空の影を蹴り飛ばして、その反動×落下スピードで下方の影に蹴りを入れる。
そうして猛スピードの上下運動を数回繰り返し、その際も迫る影の攻撃は全て最低限の動きでかわし、蹴りを叩き込む。
本来、人ではありえない程の反射神経と運動能力が必要でも、赤の効果が全身に及ぼうとしている私には関係がなかった。
その後走るように前後左右の影達を踏みつけ、一体を踏み台にさらに上空に飛び出した。
上空数十メートルの戦いでも、恐怖はない。
むしろ、これは、なんだろう、喜び?

強い。私は、強い。
30に近い数の、影達が次々と消えていくと、
先ほどまでは全く見えなかった赤い夜空が見えてきた。
まるで暗雲を自分の力で切り裂いているようだ。
私はその感覚に酔いしれていた。

誰かの必死な叫びが聞こえたような気がした。
私の中の燃え盛る炎に、水を被せるような、必死の叫びが。

(止めて!)

何故? 疑問に思いながらも、その必死さに何かを感じ、激しく燃える炎の赤を抑える努力をする。
しかし、最早全身に広がろうとしていた赤の発現は、中々抑えられない。
大半の影を片付け、地面に着地する。
赤の発現により高められた身体能力は、数十メートルの落下も苦にはしなかった。

……が、人影が見えた。
シュウでもシラセでもない、知らない誰かの……人影。

その瞬間、背筋が凍った。

7、星 【ほし】

2006年4月10日 100題
「そうだな、来るな」
サエさんは流石である。
「え? 何が」
シュウさんの一般的反応は正しい。
「20……30……38匹か」
さらに影達の数まで正確に測るサエさん。
貴方本当に人間ですか。

「私が半分、シラセが10匹、シュウは9匹でいいな」
「姉よ、それは俺に死ねと言っているのか」
確かに色が発現していないシュウさんを戦わせるのはちょっと酷だろう。
内在する色はかなりの彩度がありそうだが……

「大丈夫ですよ。僕が半分……

言おうとして、声が出なかった。
喉が焼けるように熱い。
この頃は調子が良かったので、油断した。

黒影さん達には意思がないので待ってはくれない。
順調に襲い掛かってきた。
まずサエさんが飛び上がり、上空から迫る影達を次々に蹴り飛ばしていく。
迫る影を踏み台にしてさらに上昇する。
「私が影を惹きつける! 自分の身は自分で守るのだぞ!」
危機が増した所為か、サエさんの赤の発現が強くなっている。
流石、赤だ。危険の中でさらに強くなる。

派手に輝くサエさんの赤の脚に影達は集中するようになる。
まるで上空で輝く赤い星に暗雲が迫っているようだ。
それでも僕とシュウさんを狙う影はいた。
いつものように、影の手をかわし、間合いに入り、心臓を抜き取る。
そして僕はその際に、どうしても出ない声で、謝る。
『ごめんなさい』
僕が世界を壊したセイで、
「皮」(『理』『体』『活』『常』等)を剥がされ、「色」(本質)を曝け出してしまった人々。
現代の多様な要素から形成されていた人々の本質が、まるで沢山の色をぐちゃぐちゃに混ぜた黒になってしまうのは仕方がないと思う。
だが、わざわざ曝け出すことはなかったのだ。
全て、僕が悪い。
黒い影は、元は人なのだ。
それは変わらない事実。
受け止める。大丈夫。
ごめんなさい。
大気に溶けるように、僕の殺した人は消えていった。

「影を消滅させた……?」

弟さんが驚いた様子で僕を見ている。
休む暇もなく影達が迫る。
幾度も戦ってきたが、慣れることはない。
結局は体中を大小、抉られることになる。
でも、血まみれになりながらも、生きている。
僕は生きていた。

上空ではサエさんの両脚に変化が起きていた。
赤の色がさらに彩度を増していた。
明度も上がっている。
まるで燃えるように、赤いオーラが迸っている。
赤い星、という表現が適切ではなくなってきた。

まるで、太陽。

やばい……
僕は声を出そうとした。
出ない。
不甲斐ない、悔しい、やばい、止めるんだ、僕は何をやっている。
僕は心の中で絶叫をあげることしかできなかった。
とにかく悔しかった。

止めなきゃ、止めなきゃ、止めなきゃ!
「数ヶ月ぶりのお客さんのようだよ、姉」
青年が僕を見つけて言った。
今も後ろから黒い影達の熱い視線を感じるが無視することにする。
「どうもお邪魔します」
僕はにこりと微笑み、庭に入った。
そして二人を一瞬で分析した。
どうやら二人は姉弟のようだ。
弟は青い髪のショートカット。身長は170センチ程で良い体格をしている。立ち姿だけから察するとかなり強い。
姉の方は赤い髪のロング。身長は170センチ程で弟と同じくらいだが、彼女の細い体の何処にあのパワーが隠されているのか。謎である。先ほどの戦いから戦闘経験もかなりのものと思われる。
力関係は 姉>弟。
姉のカラーは赤とわかった。
弟の方はまだ発現していないようだがおそらく青だろう。

「ようこそ高橋家へ。私は冴。この馬鹿は秋だ」
「姉よ、馬鹿はないと思うが」
「死ぬか」
「馬鹿な秋です。ヨロシクネ!」

「僕は白瀬英輔です。来ますね」

音もなく黒いものは忍び寄る。
気配は五月蝿い程蠢いている。

庭には今の世界では珍しい木と草があって、久々に緑色を楽しめた。
僕も、姉弟も、この家も、
色を奪われるわけには行かない。
1週間同じ光景が続いていても飽きはしない。
最早その光景は網膜に張り付いているので、飽きたとか飽きないとか何かを考えるのは無駄だ。

赤と灰色の世界。

僕、白瀬英輔は……(自分の名前さえ忘れそうだ)

黒部洋(親友だ、確か)を探していた。

アスファルトの道路を歩く。
思えば、平凡な僕は誰かに舗装された道しか歩いてこなかったな。
何の脈絡もなくそう思った僕は、舗装のされていない道を探そうとして。

ズゥウウン、と地面が揺れるほどの音と衝撃を感じたのはその時だった。
そう遠くはない場所で、何かがあった。
音、衝撃の本へ迷わず走り出す。
空の赤が濃くなってきた。
時計があったならば多分6時ごろを指していただろう。

目の前で信じられない光景が繰り広げられていた。
普通の人間ならば歯が立たないはずの黒い影が、一人の※女性※に蹴り飛ばされていた。
かかと落とし、ロー、ミドル、ハイキック。
女性の蹴りが黒い影に命中するたび、物凄い音と衝撃が大気と大地を揺らした。
目にも留まらぬ猛スピードで猛威力のキックを……痛そう。
最後にトドメの回し蹴り。
これはトドメなだけに、最大級(当社比・推測)の威力だった。
黒い影は芸術的に吹っ飛ばされ、瓦礫にあたりながらはるか彼方に消えていった。
女性ははぁっと息を吐くと、蹴りのフィニッシュで止めていた足を下ろした。
よくみると彼女の両足は、ほのかに赤く光っていた。

「黒い影を蹴飛ばせる姉を持つ弟は、世界で俺だけだろうな」
突っ立っていただけの青年が言う。
「家を壊した罪は万死に値する。例え黒い影だろうが弟だろうがな」
声も容姿も確かに女性だ。
世界は広い。
「まて、俺は壊してないぞ」
どうやら軽い行違いがあるようだ。

ドアが壊れた家と、物凄く強い女性と、変な汗を流している青年が、薄暗闇に佇んでいた。
ちょっと離れたところに僕が立っている。
さらにその周りを大量の黒い影。
包囲完了ということか。

不思議と負ける気はしなかった。
「おい、鍵はどうした」
「なくした」
即答に拳の速攻で答える姉(28)独身。
「良いストレートだ。姉よ」
「黙れ弟、貴様、死にたいのか」
家の鍵をなくした俺に姉が怒るのも無理はない。
この家の鍵には合鍵というものがないからだ。
作ろうにも今の世界に合鍵屋などという悠長な商売はないに等しい。
何せまともに立っている建築物さえ少ないのだから。
その分俺と姉の家は貴重な文化遺産だろう。

「しかし、困ったな。家に入れない。どうしようか、お姉さん」
「お前の所為だろう、反省をしろ。探しに行け。地を舐めてでも探し出せ。さもなくば血の雨が降るであろう」

姉は一応性別は女であるが俺より強い、恐い、怖い。
世界が滅びそうになる前は県最強の強さを誇った俺でも敵わないとなれば、姉に勝てる男は一握りの一つまみだろう。

赤い空が濃さを増している。
今の時間は5時半〜6時といったところだ。
まともに動いている時計も少ない。

「それが、姉よ」
「死ぬか」
「行きます」

他にどう答えられようか。
俺が重い腰を上げて玄関前から立ち去ろう(逃げよう)とすると、

音もなく黒い影が視界に入った。

危険

瞬間、反射的に地面に伏せていた。
俺の顔が在った場所の後ろの、玄関のドアに黒い手がずぶずぶと入り込んでいる。
我ながら素晴らしい避けだな。
ドアは一部分が消失し、けたたましい音を立てて倒れた。
鍵どころの話ではなくなった。

危険

姉が物凄い怒りの形相です。
黒部は指揮棒を振っていた。
それに応じるように動く黒い影。

黒い影が赤い空を覆いつくし、
逃げ惑う人々を取り込み、消し去る。

影に触れた物質は消失する。
影が通ったとき一部が消失した建物はバランスが保てなくなり次々に崩れる。

倒壊音、悲鳴、黒い影の風、遠くで轟く雷鳴、何かが落ちる音。

それらの奏でるハーモニーに黒部は陶酔する。
阿鼻叫喚の世界。
素晴らしい。
「世界の破滅」を奏でよう。
完全なる『美』を作り出そう。
しかしそれには音が足りない。
例えるなら、ソプラノ。
誰にも触れられない、侵せない領域にある音。
……白瀬? どこにいる?

黒部は指揮棒を放り出すと堪えきれないといった様子で笑い出した。
演奏は終わりに近づいている。

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