Live世界には一応物理法則がある。一応は守らなければならない。

 ポチは、驚異的なバランス能力、脚力で、馬上から『放たれた』。一閃となったポチは、衝撃を置き去りにして、音もなく空気を切り裂いて目標へと向かった。
 その目標はすでに何kmも先からそれを予見しており、ポチの突き出した剣先がどこにくるかまで、きっちりとわかっていたかのように、剣を鞘から取り出した。
 ガチン、と火花が爆ぜた。後にポチが射出された線上を、風が駆ける。ポチ、バリエッタの剣先が寸分の狂いもなくぶつかったのだ。一瞬の静止の後、重力に従いポチがその場に着地する。マントは風を受けて、ふわりとそのあとを追った。

「……」
「……」

 言葉はない。一瞬の肺の動き、細胞の動きが隙に繋がるレベルの戦闘である。すでにお互いはお互いを知り尽くし、逆算し尽くし、殺し合いはその時点で終わっていたと言っても過言ではない。かといって、その過程を省くわけにはいかず、彼らは誰にも見えない殺陣を行った。一撃一撃の剣閃は、『英雄』クラス二人以外には見えない恐るべき速度で放たれ、物理とは思えない『強さ』を発揮しつくしている。だが、音と衝撃は抑えようがなく、その『力』の衝突は、感知タイプのプレイヤーならば誰もが感じ取ることができるほどだった。

「……!」
「……!」

 やがて、その戦いが全方向に及んだとき、二人はその場から消えた。いや、消えたように見えた。同時に建物が誰にも理解できない規則性で弾け、壊れ始めた。二人が衝突し、足場とした場所はその衝撃で破壊された。建物の存在をわずかな『ズレ』とするために互いに盾とすることもあり、いくつかの建物は真っ二つにもなった。何の誇張もなく、真っ二つに。
 この戦いは、Live世界時間でおよそ二十分ほど続くことになる。壮大な戦いによる影響からか、世界に誰もが認識できる『ラグ』が発生しはじめたのは、そのころからである。

 一方――、

 カナンは、死んだ。

「――は?」

 キサノは、呆けた。

「オレは自分以外に、【全魔法行使】が使えるやつ、許せないんだよね」

 そういって再びサングラスをかけたネクターは、昇天の光に包まれ倒れているカナンの死体を、まるでゴミを見るかのように一瞥し、笑った。

「見たら死ぬ【魔眼】なんて、面白くないから使いたくなかったんだけど……、この場合は仕方ないよね」

 いいながらネクターはエラシナの氷像をコンコン、と叩き、その強度を確認する。

「やはり術者が死んでも解除されないタイプか。別に行動は自由で、【キルタイム】に最初から『助け合い』なんて言葉は存在しないんだけど……」

 片手を白熱させ、ネクターはそれを振るった。炎風が周囲の建物を焼きなぎ払い、同時にエラシナを包む氷を溶かしはじめた。

「まあ、助けとこう」

 その間もキサノは、ただ呆けることしかできなかった。

 さらに一方――、

 【雷】が付加された強力な一撃を放ったアサトは、死の予感が通り過ぎていくのを感じた。魔導砲の破壊を感じ取ったのだ。そこに安心できたのは、タナトスが計算上どうやっても、今の一撃で完全に気絶してしまったのを確認したからである。まる。

「……」

 裏があるんじゃないかと、アサトは勘ぐったが、矛盾を探し出す能力に優れている自分が幻術にかかりにくいことは承知していたし、このタナトスは99.9%本物のタナトスである。

「……」

 ヘレナと目を見合わせたアサトは、とりあえずは『賢者の石』を現在所有しているはずの、銀の捜索を再開することにした。

 ――そして、その銀は。

「やあ、久しぶり」

 友人のペットに、会いに行っていた。

「……あなたは――」

 シンリはいくつもの監視を無視、突破して、突然現れた訪問者に、少し驚く。

「いや、初めまして? 記憶は戻っているはずだから、久しぶりだよね。シンリ。ミックスブラッドキャットのシンリ」

 改めてその事実である真実を聞かされ、わずかに顔を歪めたシンリだが、すぐに魂を立て直す。何もかも、解り、判り、分かったのだ。もう迷いはない。

「――すばらしい」

 それに感嘆の意を表して、

「これを、君に。私が真心をこめて創ったものだよ」

 それは、ひとつの鈴だった。

「いいかい、それは扉であり、鍵だ。アカシアというプレイヤーの魂をもとに創った。気に入ってくれると嬉しい」

 平然と、ひとつの命を犠牲にしたものを、銀は贈り物という。

「きっと、君も喜ぶ。洞窟のクエストが終わったら、アメツキ、アイゼンと3人で買って渡すつもりだったんだけど……、なぜかその鈴を売っていたはずの店が、アイゼンとアメツキが、どこにもいなくなっててさあ……創っちゃった」

 銀の瞳は、虚空を見つめていた。

「周ちゃんと、遊ぶんだあ、きっと、楽しいよお。でも、もっと、遊ぶつもりだったんだ。でも、でも、ね。死んじゃったんだあ、でも、遊ぶんだあ」

 銀の胸が突然光り輝き出した。シンリはその眩しさから眼を保護するため、両手を目の前に移した。その際、手のひらに置かれた鈴を握り締めた。

「周ちゃぁああああん、どこ言ったの? ああ、そうか……いないなら……」

(創ればいいのかあ)

 とっくにコワれていた銀の精神はそこでどこかに飛ばされ、賢者の石と銀の体を覆う【災厄】が、暴走を始めた。
 【雷耐性】:B

 つまり、【雷】属性:Bランク以下の攻撃を全て無効化することができる。ただし、局地的かつ強力な【雷】によって発生する衝撃、および風圧などは、【雷】属性とは認識されず、微妙に通る。
 アサトが【雷耐性】スキルによって可能にした、【攻撃】へほぼ100%魔力をつぎ込んだその一撃は、そりゃあ一般に比べれば強烈な一撃である。だが、それに比べても強烈な経歴と二つ名、性格を持つタナトスを倒せるかといえば、それは微妙であった。

「……?」

 アサトのもう一つの特徴的な能力。【解析】が突然、アサト自身の意識とはほぼ無関係なところで、急速に今の状況を確認し始めた。無機物、有機物、この世界の万物全てに、数列と記号が羅列されるイメージ。一瞬にしてアサトの周りの空気は数式の海に沈み、彼は今までに味わったことのない感覚を覚える。そして、同時にどこか懐かしい感覚も。

 それは、【死】。

「――【装填】」
 場所でいえば、プロの正面と言えた。シンリは特に感情を込めず、そう呟いていた。小高い丘に陣取っていたシンリ軍。その中心に、シムシから運ばれた巨大な鉄の塊が聳え立っていた。科学と魔法の禁断の融合、かつて一度だけ、アルル大渓谷のシムシと衆の決戦で使われた、全てを破壊する超オーバーパワーアイテム。

 【魔導砲】。

 そのときと違うのは、かつて恐ろしい数を必要とした魔導士が数十人足らずで済むようになったこと。【装填】の時間が著しく短縮されたこと。『威力』が桁違いに上がったこと、そして何より、カナン並の強力な魔導士による、『制御』が必要なくなったこと、などである。『改善』、というよりも『改悪』が正しい、いくらファンタジーなLive世界でも許されないその代物は、シンリによって合併されたカイド国から齎された魔導技術も一枚噛んでいた。

「装填完了まで残り15秒。発射後、プロ予想被害は、予定通りになるものと思われます」

 オペレーターの告げる、その予定通りが、何もかもの「0」で終わることは、計算済みである。もはやバグとも呼べる、スピード、桁違いの威力の攻撃が、

「『発射』」

 ――される。何の前触れもない、死の力の渦。数多を殺し、数多を滅ぼし、数多を無に返す、

 ――前に。

「『ゼロ』!」

 両手で触れたアイテムの『魔法力』を完全に『ゼロ』とする能力を発動した――、大、大、大、魔導師――。

「ウルトン様のご登場だぜ!」

 アイテム『魔導砲』の内部魔力が一瞬で『ゼロ』となり、その急な変化により制御系統に混乱が生じた。機械的制御に関していた配管は、逃げ場をなくし暴走しだした圧力によって破裂。それがいくつかの機関を致命的に破壊。蒸気、水、油が混じりあい、不気味な色とニオイを発し、周辺へ危険のシグナルを送り出す。いくつかの蒸気が機械内部の隙間をぬって奇怪な音を出す。それはまるで、『魔導砲』が体中から血を流し、悲鳴をあげているようだった。

「目立ちすぎです!」

 その【神速】で、間一髪ウルトンを運びきっていたアレックスが、すぐさまウルトンの首根っこをつかみ、その場を離脱する。敵軍真っ只中であったので、行きの疲れなど無視せざるをえなかった。その一瞬を、捉えるのはそこに残っていた技術兵、魔導兵では不可能なことだった。もちろん、シンリにも。

「……」

 優秀な何名か、愚かな何名かはすぐさま『魔導砲』の修繕に入っていた。しかし、誰の目から見ても、もちろんシンリの目から見ても、最早『魔導砲』は、使い物にならなくなった。直感的な魔導士たちはすでに、己の声にならない声に従い、すでに魔力を全て台無しにした【敵】への探知に費やし始めていた。

「……」

 もちろん、シンリも声にならない怒りを覚えていた。

「……」

 が、同時に痛烈に愉快でもあった。

「くくく……」

 まさに、敵ながら見事。

「はははははは! あははははははははははは!」

 痛快!

「だが『殺せ』!」

 アサトとヘレナが遭遇したのは、【物読み】のタナトスだった。
「かっかっか。久しぶり」
「逃げろ!」
 開口一番、アサトは完全に把握、解析していたプロの市街路から、最も逃げやすいルートを選び出し、ヘレナの手を取り、逃げ出しそうとした。
「いやいや、まさかな」
 と、当然タナトスは電光石火の速さで放った【雷魔法】によって、アサトの足を痺れさせ、その逃走を阻止した。その【雷魔法】は速さに反比例し、威力は極小のものだったが、アサトの足を止めるだけには十分だった。
「アサト!」
 ヘレナがアサトの名を叫び、そのまま逃走した。
「おいィ!?」
 アサトの叫び空しく、ヘレナは逃走に成功。アサトの足の痺れはすぐに解消されたが、既にタナトスが全身に【雷魔法】を帯電させて待っている。
「かっかっか。判断に全く迷いがない、いい人格だ」
 タナトスは嬉しそうに言う。アサトが戦闘態勢に入るのを待つ。その様子は余裕でたっぷりである。
「……戦るしかないか……」
 やれやれ、はぁ……といった様子で、アサトも【雷魔法】を全身に帯電させた。まぁ初見(というか実は遭遇はしたことある)の【解析】によると、勝てる見込みは2.2%ぐらいなのだが、こういう場合の確率はあてにならないものだ。0でなければ良い。
「まずはこうだな」
 バチリ、と激しく短く、雷撃が走った。アサトの顔面を直撃したかと思われた雷撃は、衝撃だけを残し、通電はしなかった。のけぞった顔面をタナトスに戻し、アサトは叫んだ。
「あんまり効かない!」
 アサトは一応【雷耐性】:Bという中々珍しいスキルを所持している。
「ああ、お前の顔に書いてあるよ」
 それをさも当然と言った様子で受け止めたタナトスは、今度は氷の槍を生成し始めた。
「いや、させないって!」
 強く地面を蹴り、アサトはタナトスに向けて拳を振り上げた。アサトは遠距離からの雷撃は得意ではないので、効果はあまり望めない。チャージングを始めた敵の前で、躊躇はもってのほかである。まず、自身のほぼ最強の攻撃力を叩きつけて効果を見ることで、今後の戦略を組み立てるのがいいだろう、とアサトは一瞬で【解析】した。
 【氷槍】:アイスランスを生成し終わる直前で、アサトはタナトスの頬に、【雷】を纏った拳を叩き込む。一応、全力だ。

 だが、ズドンという通電音とともに、タナトスがきりもみしながら飛んでいったのは、アサトにとって天敵の、【予想外】であった。
 また別の、プロの市街地にて、
 キサノとカナンは再会を果たす。
「【壊乱】のエラシナ……」
  怒りを目に湛え、カナンは言った。
「何故、裏切ったのですか!」
 だが、エラシナの答えは、ひどく淡白なものだった。
「……誰でしたっけ?」
「エラシナァアア!」
 激昂したカナン。右手には既に【氷槍】:アイスランスが握られており、魔力による発射を待っていた。迸る冷気がカナンの怒りを冷まそうと、必死に吹き上げている。
「シッ!」
 歯を食いしばりながら、肺の空気を一気に吐き出し、渾身の力で槍を放ったカナン。その槍の速度は元々身体能力は人並みなエラシナには、視認すら困難なモノであった。
「何故?」
 言いながらも、なんとかモーションから読んだ【氷槍】の軌道上から体を避けたエラシナは、右頬を冷たい感触が通り過ぎるのを確認した。だが、カナンの両手には既に複数の【氷槍】が装備されていた。精神の乱れからか、その大きさにはバラツキがあるものの、切っ先は鋭利で,、全てが最初のスピードで放たれるならば、当たり所によっては致命傷となり得るだろう。というか付加効果により一撃でもまともに当たればその場に氷漬けになるので何も心配はいらない。氷属性の攻撃としては、わかりやすいワンキル超攻撃的魔法である。
「……」
 まともな戦闘による勝機を見出せなかったことにより、エラシナは金色に光る瞳を見開いた。魔眼、【壊乱】の瞳である。
「対策をしていなかったと、思うのですか?」
 カナンはさらに、【氷槍】で練っておいた氷のイメージを、壁へと変化させる。あらかじめカナンは氷系の魔術を使っていたこともあり、その時間は0,5秒程短縮されており、魔眼の発動に間に合うほどのスピードである。
「……」
 綺麗な鏡面となってできあがった【氷壁】:アイスウォールが、エラシナ自身の姿を映し出す。エラシナの魔眼は、自身には効果のないものだった。ある意味のカウンターを狙っていたカナンだったが、【壊乱】の効果が自身に届いていなかったことだけでも、【氷壁】の成功を確信する。
「勝った!」
 魔眼系統のスキルに共通する【視認】という条件は、不意に狙うものであればほぼ避けることは不可能に近い。だが、全く対策する方法がないわけではなかったのだ。カナンは【氷壁】を貫くほどの速さで、無数の【氷槍】をノータイムで放った。無抵抗のまま、エラシナは壁を突き破って飛んできた、無数の【氷槍】に貫かれた。
「……」
 無言のまま、エラシナは自身に刺さりまくった【氷槍】を、さらりと眺めた。次の瞬間には氷がエラシナ全身を覆う。歪ではあるがある意味美しい氷像が、一瞬で作り出された。
 キサノはカナンの勝利を見て、(ああ、自分の出番、またなかったな)と、遠い目をした。

「中立国の大動脈であるプロを制圧すれば、Live世界の支配は成ったも同じです。余計な手間、回り道は何も要りません。今日、成します。全人口を半分にまで削減。その後の世界の動向を確認したうえで、私が、私たちが、この世界を徹底的に管理します」

 ――プロ市街を包囲。シンリ軍、シンリの号令。

「キルタイム諸君よ。今日の戦争は、おそらくLive史上最高のパーティとなるだろう。殺しても、殺さなくても、世界に秩序をもたらしても、もたらさなくても、君達の自由だ。計画は万事うまくいったし、シチュエーションとしては【世界】という言葉がかかっていて非常に良い。シンリが勝てば支配の世界。シンリが負ければ崩壊する世界が鑑賞できる。この瞬間を持って計画の成功を宣言し、俺はキルタイムの解散を同時に宣言するんだが――、どうする?」

 ――戦場を前にして。アメツキの宣言。

「ああ、私はねぇ、周ちゃん。自分が変わったのか、周りが変わったのか、よくわかっていなかったんだろうね。最終兵器を創ったよ。ずっとずっと、アメツキの眼を盗んで創ってたから、今までかかっちゃったけど、これは本当の最終兵器だよ。そして私の最高傑作なんだよ。見てほしかったなぁ。本当に」

 ――生みの親からの、シンリへの最後のプレゼントを手のひらで転がしながら。銀の独り言。

 プロ市街には、最早Live世界のシンリ独裁が【無神】事件とは比べ物にならないほどの現実として広がったことにより、ほぼ全ての魔王反逆派のプレイヤー達が集まっていた。中には、もちろんそんなものには興味がないプレイヤーや、ビギナなどから流れてきた新規参入者もいたが、シンリ軍の侵攻速度は、そんなものに関係がなかった。

「始まる……」
「本当に始まるのか?」

 人々は口々に言った。ブルズアイ湖での戦いは、双方に1000以上の死者を出したが、それでもまだ半数以上残っていたシンリ軍の圧勝だったといえる。中立国の本隊は大打撃を受け、プロへの退却を余儀なくされたが、その敗北によっていよいよ日和見派のプレイヤー達も危機感を持ち始めたのは中立国にとって嬉しい誤算だった。すぐに数の上では中立国軍は互角まで立て直したが、命令系統の統一、整理、人員の配置や作戦決定時間なども加味すると、シンリ軍の侵攻速度は『市街戦』を許してしまうことになっていた。互角、とは言いながらも、プロを取り囲む圧倒的な数。そしてこれから始まるであろう、大決戦を、人々は待ちうけながらも信じられなかった。

 もちろん、あいつらもいい加減外に出た。

「アトラさんの治療は大体済みました。後はこれから始まる市街戦でロッカク堂を破壊されなければいいだけです」

 アレックスが久しぶりに【神速】の発動準備体操を始めた。これはきっちりやっておかないと、翌日全身筋肉痛によって死ぬ。まぁ今回は、本当に死ぬ直前まで【神速】を酷使することになるだろうな、と、アレックスは感じていたが。

「元々中立国として戦争を想定していなかったのが痛いな。防壁は全く構築されてないし、市街戦なんて微塵にも想定されていない。せめて近くの平原で戦闘できれば、戦略の練りようはあったが、それも百戦錬磨のシンリ軍に対してはこちら側が不利になるだけだし、単純に時間的な問題もある。どう考えてもシンリ軍はおかしい。何もかもがDVDを×10倍の速度で早送りした感じだ。意志に全く乱れがない。手強いぞ」
「なんか久しぶりにまともなこと喋ってますねNETさん」
「ああ、自分でもちょっとビックリだ」

 アレックスが感心するほど、NETは真剣になっていた。激しくはためく再会のスカーフが、これから来る嵐を予感させていた。プロ市街は不気味なほど静まり返っており、人影は全くない。それぞれ建物にこもるか、バリケードの内側にて待機しており、まずシンリ軍の突撃による第一波への牽制、遠距離射撃の準備をしている。その際に人員の配置が敵方に割れるのは極めて不利であるので、両陣営はそれぞれの能力、機械による索敵とジャミングを繰り返していた。その関係により、中立国軍は最低限の『音』による情報提供も徹底して遮断していたのだ。

「あんたらー、いろいろ提供してやってんだから、私の店ぐらいしっかり守りなさいよー」

 シンカがやる気なさそうに、店の中から声を出した。我関せずといった様子で、中で新聞を見ながらだったが、その声には少し不安の色があった。奥の部屋には治療が済み、危機は脱したアトラがベッドに横たわっており、傍らにはヤミハル、ロッカク堂の屋根の上にはヤミハルのペット、ブラックワイバーン『フリオ』が待機していた。なんだかんだ言いながらも、シンカは店の常連と店自体がものすごく心配であり、もしもの際のことを考えてはいた。

「キルタイムはこの戦争に参加する。必ず銀も来るはずだ。賢者の石を手に入れるのは今しかない」
「……なんだかえらい難易度が高いのは気のせいかしらね。どっちにしろ私は今日で帰るわよ。カイドのあの極寒の森の空気を吸わないと、私死んじゃうわ、本当に。その場合の損害賠償はアサト、あなたに払ってもらいますからね」
「……カイド、今はないぞ」
「……」

 アサトとヘレナがそれぞれ、やっと動き出そうとしていたときに。

「……賢者の石?」

 ぴくりと、耳を大きくした自称大魔法使いウルトン博士。

「とりあえず、僕は居心地の良いこの店と妹を守るとするかな。兄としてはね」

 キサノが特殊なグローブを手にはめながら言った。

「……守ってもらう必要はありません。前戦争では失態を演じましたが、今回は遅れをとりません。前回の借りをエラシナに必ず返します。それまではこの店もまあ、守ってあげてもいいですし」

 と、カナンが何処を見ようか迷いながら言った。もじもじとしながらもキサノに付いていく様子である。カナンは国王としての器があったのかどうかは怪しかったが、一応魔法使いとしての力量はロッカク堂では随一と言ってもいい(およそ二人程は猛反対するだろうが)。すっかり精神的なダメージは取り戻したようだったので。

「それは頼もしい」

 と、キサノは笑って言った。

「フルファイアさん、貴方はどうするんですか?」

 ちょうど両手を高く上げてー、深呼吸ーの所で、アレックスはフルファイアに今後の動向を聞いた。

「とりあえず、懐かしい友人が来ている予感がするので、会ってこようかと」
「へえ、貴方友達いたんですか」
「アレックスさん、貴方このごろ毒性強まってますよ」

 フルファイアは何も武器も持たない上半身裸の変態的スタイルで、嘆きのポーズを決めた。何処からどう見ても変態だったが、既にロッカク堂メンバーは慣れていた。

「まぁ、一度殺しあった仲ですけど、後味悪いですし死なないでくださいね」
「ありがとう、【救世】のアレックス」
「一度殺された仲だが、俺もアンタのこと嫌いじゃないぜ!」
「心広すぎます、NEET」
「Eが多い。やっぱり死ね」

 アレックス、NET、フルファイアの三人は笑った。これから始まるデスマッチは、最早誰が生き残るのか誰にもわからない。わずかな風の吹き方によっても結末は変化するだろう、何も定まらない暗い道だ。

「バリエッタ、貴方死ぬかもとか言ってたけど――」

 シンカが最後に、ロッカク堂から出ようとしていたバリエッタを呼び止めた。

「――ああ、あれか。あんなの嘘だよ。じゃ、行ってくる」

 笑って、ロッカク堂を出たバリエッタの背中に、シンカは何も見出せなかった。扉は閉まり、同時に昼の太陽の光が作る、ドアの影が、シンカを覆った。シンカは伊達メガネをかけ直し、新聞を畳んだ。アトラが寝ている部屋に向かうつもりだった。

「――嘘じゃない。僕は今日死ぬだろう」

 バリエッタとの言葉とは対照的に、そう呟いたのはプロ市街を囲むシンリ軍を指揮する、ポチ将軍だった。愛馬の上で、手綱を握り、遠くに見えるはずのプロ市街の全貌を空気で感じながら、様々な感情を込めた一言だった。

「……え?」

 それを聞いていたのは、リペノだった。リペノだけだった。ポチが【英雄】となってから、初めて出た弱音である。弱音であると判断したのは、リペノだったが。

「僕は両目を失ったあの時、【世界と繋がった】。それはあらゆる情報の先取りを意味する。要するに僕は今この瞬間も、ズルしてるってことなのさ」

 ポチはリペノの聞き返しに答えず、続けた。まるで独り言のようだった。太陽の光が正午の方向に上り、ポチの愛馬がブルルと鼻をならした。

「……は?」

 リペノはもちろん、先ほどと同じ返答しかできない。

「覚えておかないといけない。【世界】は確かに存在していて、僕ら一人一人と繋がっている。それはもちろん、全てのプレイヤー、全ての魔物、全ての建築物、植物の一本一本、ましてや砂の一粒まで、全てに繋がっている。【Live世界】という大きな幹から、僕らに枝が伸びているイメージかな。その枝で、実際の植物と同じように、エネルギーを取引している。その枝には細い、太いという違いがあれども、ね。あくまでイメージの話なんだけど。
 僕はたまたま、それに気づけた。だから、【世界】の幹が、今【バグ】(虫)に侵食されていることも、よくわかる。枝を這って僕達に進入し、幹ごと【世界】を崩壊させようとしている。僕はそれが、わかるんだ。他のプレイヤー達よりも深く、大きく、【繋がっているから】」

「……」

 突然始まった、ポチの荒唐無稽な話に、リペノはついていけずとも、その中に真実を見出す。

「【Live世界】という名の幹を、守らなければならない。その方法は様々あれど、結局今できる、最も確実な方法は、プレイヤーを減らし、【幹】のエネルギー消費を抑える。ようは『間引き』しかないということだ。僕の中に入ってくるバグを殺す方法は、既に自身を刺し殺すことしか解決できないと理解しているし、大きな枝を作ってしまった僕は、世界からのエネルギーの搾取を抑えることができない。この思考が既に【バグ】に侵されたものかもしれないけど、僕はこの戦争が終わったらおそらく【死】を選ぶよ。
それだけは確実だ。
 ――でもその前に、やることがあるというだけ。あとは頼む、リペノ」

「ポチさん!」

 リペノの叫びと共に、ポチは号令を発した。攻撃の合図。Live時間12:00。

 プロ市街決戦、開戦。

「勝手なことを言って!」

 リペノは怒りながら、兵士達の雄たけびと共に馬を走らせた。将軍の地位を持ちながら、真っ先に馬を走らせていたポチは、既に弓や魔法などの遠距離攻撃の合間を、神がかり的な予測と馬術で避けて、プロ市街へと突っ込んでいるところだった。バリケードも意味をなさず、まるであらかじめ知っていたかのように、一番手薄でもろい部分を馬で蹴りつけて突破し、目的の場所へと迷わず走る。そんなポチに追いつくのは、流石にリペノでも難しい。リペノは一時ポチの追跡を断念し、その精神を中立国軍の排除へと向けるしかなかった。

「ポチさん、貴方が死ぬなんて、許しませんよ!」

 そう強く言いながらリペノは、飛んできた弓矢を剣で弾き飛ばした。

「シンリ様、ポチ将軍が突撃開始を宣言しました。Live時間1200。東のポチ将軍率いる本軍の突撃と同時に、北、西、南の軍も侵攻を開始。中立国軍側の遠距離攻撃による反撃も始まっております」
「……そうか」

 斥候兵の報告を聞いたシンリは、自身の馬に反転を命じた。現在シンリがいる位置は、東側の本軍のさらに東、なだらかな丘陵になっている場所であり、プロ市街全体と、自軍の全容が見渡せる場所であった。

「今この状態が一番望ましい。『アレ』を急がせろ。30分以内だ」
「はっ!」

 シンリ……魔王は、シムシから地形を変えてまで持ってきたアレの使用を命じた。それに伴う様々な評価は、置き去りにして。

(キルタイム、ポチさん、……もう一人の英雄バリエッタもそのままプロ市街にいれば……。上手い具合に力のある者たちが市街に集まれば……)

 グイっと、シンリの口元が歪み上がった。

(最高だ)



「さーて、誰が生き残るか賭けでもする?」

 アメツキは、けらけらと笑いながら提案した。既に元キルタイムメンバーは、プロ市街へと侵入していた。なんだかんだいいながらも、キルタイムメンバーはまだ解散しきっていなかった。アメツキ、銀、タナトス、ネクター、空牙、オルゾフ、エラシナ。それぞれが強力な能力と凶悪な性格を兼ね揃えていたが、変な仲間意識が芽生えていたらしい。

「まあ、俺は自分に百万かな。自信ないけどなー」

 アメツキが財布をのぞきながら言った。といっても、その表情には勝つ気しかない。見事にブラフっている。

「私に百万だねえ。お金なんていくらでも創れるけど」

 銀は見も蓋もない。

「かっかっか、俺に百万。俺も金に困りはしねえんだがな」

 賭け事にはもっぱら強いタナトスが言った。

「僕に百万でしょ……常識的に考えて。いざとなったら他を消せばいいし。あれ? そうなったらお金もらえなくない?」

 若干強欲なところを見せるネクター。

「俺が生き残るに決まっている! この俺の【音速】でえええ!」

 暑苦しい空牙。

「ぐへへ……おらは賭けねえよ……遊べりゃいいんだぁ……」

 卑屈なオルゾフ。

「くだらない」

 エラシナ。

 わいわいと戦場とは思えぬ陽気さ。発言にはそれぞれの性格が出た。とりあえずキルタイムメンバー当面の活動は、【自由】。

「では、散!」

 言うまでもなく、それぞれ思い思いの方向へとキルタイムは散った。一足遅れてアメツキが【テレポート】を発動させようとしたとき、『何か』がアメツキの鼻先を掠めた。

「……ん?」

 銀色のナイフが、何処から放たれたものなのか、アメツキにはわからない。それほど遠くから投擲されたものだった。次に迫って来ていたのは、

 青色、両目に傷のある戦士、ポチだった。

「……おいおい」

 そこはプロの入り組んだ市街地であり、今は全く人影がなかった。数百メートルはあろうかという距離から、ナイフを馬上から放ち、アメツキの鼻先を掠めたというのは、悪い冗談である。

「逃げ逃げ」

 相手はしていられないと、アメツキがさっさと【テレポート】を発動させた。疲れるので距離としては短めで、市街地の一角にあった、三階だての石造りの建物の屋上へと移動しただけだ。戦士というのはXYの平面状の移動は得意だが、こういったZ方向、つまりは高さの移動には弱い傾向が、

「そこか」

 と、言ってる間に、三階建ての建物を、馬上から一歩、二階外壁部にあった窓に足をかけ二歩、三階ベランダの細い枠の上にて三歩で、登りあがっていたポチの声がアメツキの鼓膜を刺激した。

(チート!)

 思っても口に出すような無駄はアメツキはせず、その剣閃の回避に全ての経験と、運と、蓄えを費やした。それはアメツキが、自身の人生において最も神経を使った場面であるのは言うまでもなく、その成果か、神は一度だけ『チャンス』をアメツキに与えた。そう、決死のポチの一撃目の『回避』という脅威の奇跡を。

(うおっしゃあああ!)

 内心でガッツポーズをしながら、早くも脱落者一人目となりそうだったアメツキは、すぐさまテレポートの発言を心の中で宣言した。死線を味わってからの生還というのは、何か感慨深いものがある。
 同時にポチは、アメツキの青いマントを、たやすく剣で石造りの屋上へ突きつけた。石はまるでバターのように剣の切っ先を受け入れ、アメツキとマントをがっちり固定した。もちろんそれはたやすいことではなかったが、ポチはたやすくやってのけた。

「……は?」

 『システムメッセージ:建造物を伴ってのテレポートは不可能です』

 つまり、アメツキがテレポートするには、今の状態ではマント、剣、建築物も同時にするしかないということだが、それは流石に不可能ですよ、と言っているのだ。剣と建造物は抜いてテレポートとかそんな高度なことは微妙にできない。もちろんポチは計算済みなのだが。

(……? あ、マントを破って無理やり抜ければ)

「貴方は少々、バグが多い。死んでください」

 アメツキが自分の考えを実行に移す間もなかった。ポチは腰ベルトに挟んでいたナイフをありったけ取り出し、アメツキの体へ投げ突き刺した。それは現代世界でいうマシンガンを至近距離で撃たれたような図になった。衝撃によってアメツキの体は浮き上がり、マントは剣に引き裂かれ、やがてナイフがなくなってから、アメツキは屋上に仰向けに落ちた。鎧と石がぶつかって、カランと、大きな音を立てたが、ポチはその音を聞く前に、既に剣を引き抜き屋上から飛び降りていた。
 すぐ下で待機していた愛馬にまたがり、ポチは再び目的地へと急ぎだした。

 (――私は人間ではない。

 これを知ったとき、人間なら、人間だと思い込んでいた存在ならば、どうなるのだろう? 私は人間ではない、のだ。人間的思考は別にしなくとも良いのだ。だが、全てを知り、全てが解り、もうすぐ世界と自身の崩壊が迫っていると知り、私は――。

 私は――)

 シンリの思考は、足に何かが当たった感覚によって中断された。蹴飛ばしたのは、ある兵士の剣だった。剣の持ち主である兵士は、シンリの横でうつ伏せに倒れている。その兵士は両足が何かの要素によってなくなっており、自分の血の池に溺れそうな状態になっていた。

「こ、殺し……て……」

 口の前まで来ていた血の水溜りに波紋を作りながら、兵士は呟いた。見た目は20代。だが、実際は何もわからない。シンリがわかったのは、兵士が死にたがっているということだけ。

「ありがとう、さようなら」

 蹴飛ばした剣をシンリは迷わず手に取り、兵士の首へ突き立てた。頚椎の断絶とともに、彼の魂は一瞬にして現実世界へと運ばれた。シンリからすれば、それは絶対にたどり着けない世界であり、天国よりも遠い場所だ。羨ましさは覚えなかったが、少しだけ空しくはあった。
 そんな戦場で、シンリは独り、歩いていた。中立国と元シムシとの国境沿いにて、宣戦布告後初の中立軍とシンリ軍の激突が行われたこの場所は、後にこの戦乱を通して二番目に多くの戦死者が出たと言われる。プロ東、ブルズアイ湖のほとりで行われ、流れ出る血でブルズアイ湖は赤く染まったと語られた。

「……怪我! してます!」

 泣きながら、ザクロがシンリの手当てを始めた。ザクロは別に出番が少なかったから泣いているわけではない。溢れかえる死体の量と、それに比例して湧き上がる無力感、そしてシンリへ、ポチへ向けて泣いているのだ。久しぶりの出番に感動しているわけではない。シンリは矢が右肩に刺さっていたのを、そのとき初めて認識し、ザクロの手のひらが傷口に触れ、暖め、癒すのを、黙って感じて、そして、少しだけ泣いた。

「……なんで、泣くのに、やめないんですかぁ……?」

 ザクロがやはり大泣きを始め、その顔をローブの中に隠しながら、言った。最早言葉は途切れ途切れで、治療を行っている手も震えていたが、止めない。止められないのだ。

「それは、ザクロさんも……でしょう……?」

 ポロポロと、流れ落ちる涙に、ライに裏切られてから人に初めて見せる涙に、まるで、人間みたいだなぁと、自虐的になりながら、シンリは薄く笑った。

「よく成長したね! お父さんは嬉しいよ!」
「ただのAIに、自身の『生』を錯覚させ、無意味に弄び、観賞する人を『父』と呼ぶのなら、貴方はそれに該当するでしょうね。アメツキ」

 シンリが低い声で言った。

「ははは! これは手厳しいな!」

 アメツキは笑って言った。

「よろしい。ならば我が父よ。キルタイムよ。あなた方は『楽しいこと』を望んでいるのでしょう? これから中立国を制圧し、支配下におきます。参加を命令します」
「うん、いいね。いい具合に非情だ」
「父よ。わかっているとは思いますが、『キルタイム』を使用するのは、その戦闘能力を考慮してのことです。その後はバグの塊である貴方を始末します。過ぎた戦闘能力をもつ者は始末します。お忘れなく」
「それを言う点では、まだ甘いところが残っていると言えるね。しかし、それでこそシンリなのだ」

 こうして、Liveの全世界を巻き込むであろう、シンリ国vs名も無き中立国の戦争は、開始を宣言されていた。『キルタイム』は目論見どおり、『選別』されず、戦争への参加という最高の形での舞台参加を許された。特等席確保どころの話ではなかった。
「ポチさん! やはりシンリは!」

「……」

 ある個室で、もはや軍事の最高の地位を獲得したポチと、その補佐を務めているリペノが話をしていた。ポチはすでに両目の傷を隠そうとしておらず、もともと着けていた眼帯も外しており、威圧感を増していた。リペノは地位を獲得することによって付加される様々なプラスとマイナスを押しのけており、その反発心を抑えようとしていなかった。にも関わらずこの地位を維持しているのは、実力を認められているからに他ならない。だが、その成果はポチの要望に沿えないことを防ぐためだけにあり、決してシンリへの忠誠からきているわけではなかった。それでもシンリには問題がなかった。

「……リペノ」

 ポチは静かに口を開いた。シンリ軍団内での彼の地位、印象は、もはや揺ぎ無いものであった。シンリから発せられる言葉が、そのまま軍事的な意味となりポチに下りる。そしてポチに下った命は、そのままシンリ全軍に下る。それだけの図式のはず、だったがシンリの命令の仲介と言うにはあまりにも大きすぎる器を、軍団員達は感じていたし、すでにシンリではなくポチに心酔するものは、リペノだけではなくなっていた。

「……僕は、シンリについていく。君は、選べ」

 本来なら人間としての機能として、情報量がなかなか多い眼を失いながらも、その存在感は衰えるどころか、ますます強くなっている。ポチというプレイヤーは、底が知れないという表現が当てはまるようになった。

「……! もう、バカ!」

 と、リペノが初めてポチに対して暴言を吐くのも無理はなかった。選べといわれても、ポチがシンリ側にいる限り、選べるわけがないのだ。ポチはその答えを知っていたが、どこかでリペノに裏切られないかと、わけのわからない期待をしていた。ポチは自分についてくることこそ、シンリについていくことこそ、人間にとっては一番辛い選択なのだと知っていた。

(……リペノ、辛いよ。シンリも、辛いよ)

 ポチは塞がった瞼の裏で、さらに眼を閉じた。それは深い瞑想状態への移行を意味する。それはポチが、両目が塞がってから幾度となく感じた、『世界との繋がり』をさらに強く意識することができる行為だった。彼はそのことによって、自身の特別さを、自意識過剰でもなんでもなく、当然のように感じることができる。そして真実をもっとも自然に感じることができた。シンリの言、行為は、真実である。

 ――世界の崩壊は、近い。

 ――そして、対決の時も、近い。

100.魔王

2009年4月20日 Live2
 シンリはすぐさま、中立国への宣戦と、自身の国の人間達の【選別】を宣言する。つまりは、役に立つ人間と、役に立たない人間を分けて、役に立たない方を減らすという単純なことだ。その方が世界の安定に良いとシンリは考えた。そしてそれをすぐさま実行した。
 もちろん世論は反発する。世界の破滅という一応の事情はシンリは説明したが、そこで【カリスマ】は全く発動しなかった。なぜなら別にシンリはその事情を信じてもらってももらわなくても、つまりはどっちでも良かったからだ(カリスマの発動条件1、自身が『信じてもらいたい』と思わなければならない)。今、シンリは人に何の期待もしていなかった。なので、ところどころで反乱、テロ、もしくは革命運動が起きようとも、それはそれで都合がよく、シンリの私兵(狂信兵)で、選別はスムーズに進むことになる(反発者の処刑によって)。【カリスマ】は死という概念など軽く超越して人を縛るし、得てしてこういうときの独裁者の多少の無茶はまかり通るものなのである。
 効率よくプレイヤーを減らすためにシンリはさまざまな方法を考えた。単純な銃殺、ギロチン、焼殺エトセトラ。アレクサンドル首都にあるコロシアムを密閉仕様に改造し、中に大量のプレイヤーを放り込み『毒殺』、あるいは強力な魔物を放って好き勝手に殺させる。ここまでくるとシンリの「効率よい選別」、という考え方からは離れ、一部の物好きたちによる趣味の領域に入っていたが、何にせよシンリはそれら全てを許可したのだ。

 ちなみに彼は宣戦布告したその日から、リバーシブルローブをひっくり返し、着ていた。白いローブの裏側にあった黒いローブは、黒という一文字であらわすのはもったいないほどの深淵色であり、それはシンリの眼の色とこれ以上ないほど合致し、見るもの全てに陰惨な死と絶望的な未来を印象付けた。

 ――故にシンリは、裏で【魔王】と呼ばれた。

「ブラボー、ブラボー!」

 ぱんぱんと両手を鳴らして、ライを迎えたのはアメツキだった。

「流石は【裏切】のライ! 噂に違わぬ【裏切】っぷり!」

 最大の賞賛を、ライに送る。キルタイムメンバーはやっと成就された最大のショーに満足し、それぞれ笑みを隠せていない。

「しかし、【裏切】のライ。何処までが計算だったんだい?」

 キルタイムのメンバーの一人、【邪眼】ネクターが興味深そうに聞いた。

「もちろん、シンリと出会う前からさ。賊として行動して偶然さをアピールしつつシンリと接触、敵から味方への変貌で、もう裏切らないという印象を植え付け、あとはなるべく近くで行動しただけに過ぎない。シンリからは『君は素晴らしい人間になれる』というカリスマをかけられたが、何せ、俺にとってはこういう【裏切】という行為そのものが、『素晴らしく』、てね。【裏切】って背徳行為でありながらも、人である限り切り離せない、本当に素晴らしい行為だと思うんだな、俺は。=(イコール)【裏切】を推奨する、『俺という人間』は素晴らしいということになり、実質やつのカリスマなんざ効いていなかった。実はシンリには裏切っていいというお墨付きを貰ったわけだな。あとは適当に身を案じてみたり、お互いの呼び方を変えてみたり、親友になってみたりしてダメージ値を増やしていったわけだ」

 どうしたら人は、ここまで歪めるのだろうか。キルタイムのメンバーの一人、タナトスはその話を聞いて、満足そうに笑った。

「かかか、『あえて知らなかった』が、アメツキ、お前がライがヤバいって言ってたのはこういうことだったんだな。確かに俺も何か同じニオイを感じてはいたが、ここまでとは予想外だった。かかか、やられたぜ。しかし、かつて俺がお前と出会ったときは、裏切る『心』なんて少しも見出せなかったぞ?」

 タナトスは今も、ライの精神状態を『読む』のは躊躇っていた。それほどまにで、構造が違うのだと、表情で、言葉で悟り、タナトスは『やめた』のだ。

「ああ、タナトスか。あの時は計画をやめそうになっていたシンリを『正しく』導いてくれて、ありがとう。『心』を見出せなかった? もちろんそれは、俺の【裏切】という二つ名の由来になる。俺はある条件を満たすまで、【自分の心を偽る】ことができるんだよ。うん、それがどういうことなのかは具体的には言えないけれど、かなり特殊な条件下じゃないと発動しない能力だから、これはお仲間達は警戒しなくてもいいよ。ともかくスイッチが入るまでは俺はシンリに本当に心酔していたんだけど、あの、スイッチが入ってからの、シンリの表情、仕草、絶望、ああ、あああああああああああ! いいなあああ!」

 くねくねとよじれながら、ライは叫ぶ。自身を抱きながら、ライは叫ぶ。

「ああ、いいよぉ! いいよシンリぃ! もっと壊れてぇ!」

 キルタイムのメンバーさえちょっと引き気味になるほどの壊れっぷりで、【裏切】ライは、キルタイムメンバーとなった。もちろんシンリには内緒である。

「ライ、ライ――そんな、私が! 私が! ごめ――ん――救って……くれ、助けて……くれ」

 そのとき涙が。ただ感情に任せた涙が。

「ごめんなさい! ごめんなさい! 私にはできません! 許して! 許して下さい!」

 シンリの両目から溢れ出た。それまでに背負ってきたものや、受け止めてきたもの。それらを全部同時に出し尽くそうとしている。でも出せないと、泣いている。苦しい、ただ苦しいという感情がその表情から、涙から、波動となり伝わる。シンリは、ただ、もう、逃げたくなった。弱りきっていた。

 それを見つめ、――――ライは。







 カチリ。

 運命のスイッチが、入ってしまった。

 水晶玉越しに、宴の始まりを見るのは、キルタイムのメンバー達。




「――はは、逃げるなよ」

 言ったのは、誰だろう。ライ? ライなのだろうか? ライである。
 仕込みはバッチリすぎて、逆に面白くない。ハマりすぎ。シンリの心が最も弱まった今。最良のチャンスすぎて、ライはその口元の笑みを隠すことができなかった。切り替わりは今回も極上のタイミング。そう、一部何が起こったのか、理解できない人も多いのではないだろうか。

「ラ――イ?」
「おいおい、NPC風情が俺の名前を呼ぶなよ」
「え――?」
「はっ……気づいてなかったのか? 『アメツキのペット』! 『ミックスブラッドキャット』よ!」

 強烈なフラッシュバックが、シンリを襲った。あらゆる記憶が奔流し、シンリはしかし一瞬にして認識する。自身の正体を。そして――、

「お前は――人間(プレイヤー)じゃない」

 恐ろしい事実を! あらゆる絶望というのは、一度に襲ってくるものである! 先ほどまで真っ暗闇だった彼の先には、今明るみになるさまざまな事実によって反対に真っ白になっている。しかし、それは決して光ある未来が先に待っているということではない!

「キサマは『創ラレタ』人間ダ!」

 ライの言葉が引き金となり、自身がLive内で生まれた『架空の存在』であること、アメツキのペットとしての数年生きたこと、【災厄】でのアメツキの変貌、そして、そしてさらにあの夜の砂漠で魂(とも言えるほど高尚なものか!?)を抜かれ、さらにアメツキ達によって都合よく創られた『体』に入れられたこと!

 自身の発生源が全て明確ではなく、さまざまなものが『偽り』であることを! 認識してしまった! シンリは知ってしまったのだ。

「や――やめ――」

 シンリは! 逃げたい! 逃げたかった! 逃げたい、だが、逃れられないのだ!

「悟れ! キサマは人などではない!

 悟れ! キサマは創られた存在だ!

 悟れ! キサマに【『友』】など、――
「やめてくれえええええええええええええ!!!」

 ――何処にも――いないっ!!!!!」

 ライの叫び声と、シンリの叫び声が共鳴する。そのときアレクサンドルを薄暗くしていた雷雲から、勢いよく雨が降り出した。流石に異常を感じ取ったポチと警備兵が、慌ててドアを開け放ちシンリの私室へと入った。
 そこには一人で佇むシンリの姿があるだけであった。

「――シンリ殿? ライ殿は何処に行かれた?」

 ポチがおずおずと尋ねた。突然振り出した大雨が、窓をびしびしと叩いている。

「――ライ? ライとは誰ですか?」

 雷鳴が一瞬轟き、光った。しかし、何も映ってない瞳をポチに向けて、シンリは答えた。

「いや――」

 ポチは少しおかしなシンリの様子を言及しようとしたが、

「『ライなんて人物はいませんでした。あなた達は警備に戻るべきだ』」

「「「……! ――はっ!」」」

 という、シンリの【カリスマ】の一言により、すぐに何も疑問を抱けなくなった。ポチと警備兵二名は、すぐさま扉を閉じ、警備へと戻った。

「――ふ、ふふふふ」

 シンリは一人になった部屋で、一人になった世界で、静かに笑い出す。

「ははは――ははははははは!」

 (なんだどうやら、私は人じゃないらしい。そして、【この世界でしか生きていけない】らしい。

「あああ! あああ、はははあははははあははははは!」

 簡単だ! 簡単じゃないか! 世界が崩壊しないように! 私が生き残るため! どうすればいい? この愛しい世界を守るためには、どうすればいいんだ!?)

 両手を広げて、空にかざす。雷鳴。部屋の壁に映ったシンリの影は歪で、まるで悪魔のようだった。さあ、どうすればいい? ――なんだあ。簡単なことじゃないか。

「――プレイヤーを、減らせばいい」


 さて、いよいよ、満を持して、『あの日』が来る。
 中立国と平和条約を結んで七日目。アレクサンドル城は雷雲に包まれ、その時刻は昼ながらも辺りは薄暗くなっていた。

 まず、シンリという人物は、この一言に集約されるだろう。

「私は――人を――殺せない」

 自分に絶望したかのように、シンリは言った。その言葉がどれだけ愚かで、自分自身を裏切り、誰にも賞賛されず、また、特殊でない返事なのかは、シンリ自身がよーくわかっていたのだ。人どころか、動物さえ殺したことがないシンリ。そして、世界を愛しているシンリ。――でも。

「こ、こ、殺せない」

 ガタガタと震える手を頭にやって、シンリは再び呟いた。それから、まぶたを閉じて、うずくまった。正しい。何もかもが正しぎる。普通の人間としては、だが。周を見て、そして死んでいった多くの仲間達を見て、シムシ兵や7達の最期を見て、決意したはずだった。覚悟を決めたはずだった。だが、シンリはお人好しすぎるほどお人好しで、アメツキさえも予測できなかったほどの、素晴らしい人との素晴らしい出会い、つながりにより、圧倒的に強く、その分圧倒的に弱くなっていたのだった。あめつきはまたこのシンリの苦悩を見聞きして、予想以上の結果だと大声で銀に自慢するだろう。
 元首相アイゼンが使っていた私室で一人、ベッドと壁の間でうずくまるシンリは、まるで怯えきった子猫のようだった。三大国を支配し、誰もから崇められる存在となったシンリだが、さてその怯える姿は自身の本当の正体(ミックスブラッドキャット)を現しており、さらに銀の水晶玉越しにすべてを見ているアメツキを愉快にさせる。自身は不自然な夢を何回も見て、アメツキの姿も確認しているはずなのだが、都合よくも、シンリにその自覚はない。それはいかに記憶操作が巧妙であり、またシンリがその事実に『気づきたくない』のかがわかった。つまりシンリは自身の正体に自分で気づくことは『絶対に』ない。それだけシンリにとってその情報は遮断すべきもの。ならば、もしそれに『気づいた』ときは……ある程度予測がつき、ある程度は予測がつかない。
 さて、シンリの決断は今描写したとおりであり、それは不変のものである。彼は我々が想像した以上に悩み、幾度となく決断の天秤を傾けた後で、この決断をしたのだ。もう錘は考え尽くし、出し尽くしたので、重力がひっくり返ったりしない限り、動くことはないということ。ああ、でも、その天秤を再び動かせるのだとしたら……。

「シンリ」

 それはシンリの唯一無二の親友となった、ライしかいなかった。最早史上最強の王となったはずのシンリの私室の扉を静かに開け、ライは急ぐ様子で中に入った。外の警備兵二名とポチはその行為を止めようともしないのは、彼がいかにシンリの信頼を勝ち得ているかの証明である。そして、彼がいかにシンリに必要なのかの証明でもある。さらに、最強の将軍ポチも、シンリは主君だと一歩も譲らず、友とはなりえなかった証明でもある。彼と唯一対等なのは――そしてそれが言えるのは、

「全て、俺がやる」

 ライ、彼だけだという証明。シンリの苦悩は、自分の苦悩だ。後ろ手で扉を閉めて、ライは薄暗い部屋の片隅にいるシンリに視線を向けた。

「ラ……イ……?」
「シンリが悩む必要などない。世界を愛するが故に、世界に憎まれる役は俺がしよう。
 わかったんだ。俺は悟ったんだ。何故、俺には何も能力がないのか。何故、何も役に立てないのか。
 こういう役回りがちゃんと、あらかじめ用意されていたんだ。なんだか唐突に理解できたんだ」

 そういう彼の声は、乾ききっていた。アメツキはブラボーと、よく気づいたと、手を鳴らした。

「ちが……」
「違うことなんてない、シンリ。俺は、この考え方一つだけで……何か自分が違うものになれたと悟っている。シンリ、君は世界を、人間を、愛しすぎた。この役割にふさわしいのは、俺だけだ。シンリ、君だけのために生きてきて、世界も人間も実はどうでもいい、俺だけなんだよ」

 次々と襲い来る不測の事態。時はシンリを待ってくれない。時は誰も待ってはくれない。意志とは別に、時はひたすら進み続ける。ライの眼にはある種、時代を変えるモノの光が宿り、そう、どういう表現が合うのかわからないが、ライ全体の『色』がここで変わったと表現しておく。

 ――嗚呼、とシンリは息を吐いた。
「で? 結局買えたわけ? クッキーは?」
「いや……だからフォロッサはちょっと、ねえ? 混乱してたしねえ?」

 シンカの振りかぶった新聞紙棒が、バリエッタの頭部に綺麗に当たり、ぱかーんという澄んだ音を出した。

「痛っ! いやいやいやしょうがないでしょ!」
「しょうがなくもなくもないでしょ!」
「そもそもなんで俺がクッキーのお使いとか行かないとならないの! ロッカク堂ってカフェテリアじゃないでしょ!」
「その点は私も同意!」

 と、ロッカク堂店主シンカと、アルバイターバリエッタが仲良く喧嘩するのは、皆さんご存知ロッカク堂である。もうこの店はカフェテリアでいいと思われる。

「ふぅーん。お使いもできない上に口答えするんだ」
「……いや、あのね」
「へぇ~、まだ何か言う気なんだ」
「……」
「あぁ、そう。じゃあ今月分の給料から――」
「わかりました! すいませんっした!」

 この喧嘩はいつもどおりの終わりを迎えたが、バリエッタの表情はまだ違う憂いを帯びたままだった。

「……ん? どうしたのよ? 心配しなくても給料は……」
「……いや、違う。急にまじめな話で悪いんだが」
「……え? なによ」
「俺、もうすぐ死ぬかもしれない。Liveに英雄級が一人現れたみたいだ。フォロッサで間近に感じた」
「…………は?」
「別れの挨拶を一言言っておきたくてな。その場での衝突は避けたけど、まあすぐに対すると思う。Liveに【英雄級は一人しか存在できない】し」
「…………え、あ? あぁ、そう……ふぅーん」

 シンカはズレ落ちたメガネを直すのを忘れ、滴り落ちた冷や汗が頬を伝うのを感じた。早すぎる展開についていけないのは、シンカも同じである。

「チェックメイトーーーーーーーー!」
「二歩ですよ、NET」
「え!? いつのまに将棋になってたの!? あれ、フルファイアはなんでそれも強いの?」
「いや、NETさんが弱すぎるんですよ」
「黙れアレックス!」

 NET、フルファイア、アレックスという奇妙な三人組はわいわいとしている。

「もう、森に帰りたい……」
「禁断症状が出始めたな。あと一週間ぐらいが限度か」

 冷静にヘレナを【解析】するアサト。

「ん、待てよ? この魔法をこうすると……」

 魔道書漁りが終わらないウルトン。

「三大国統一をついに成し遂げたのが、何処からきたのかわからないような人物とはね……」
「まあ私も似たようなものだったけれど」

 新聞を見ながら感慨深い感想を漏らす、キサノ。そしてすっかり元気になったカナンの兄妹。

 ……あと誰かいたっけ?

 世界情勢的に言えば、中立国はシンリとの正式な平和条約を結ぶ(その条約はわずか一週間で破られることになるのだが)。その後、流石に危機感を抱かなかったわけではない中立国は、史上初の中立国軍を編成することに決定(ここまでやってのけたのはアメツキにも予想外だったが、確実に面白くはなると逆に喜んだ)。
 ロッカク堂のメンバーはいっそギルド作るかと悩んだりしていただけで、直接その軍には関わらず。偽りの平和の元で上記のような会話を繰り返しただけだった(注記するとすれば、裏でNETがアレックスを使い走り、調べごとをしていた模様。また、アサトはさらに独自で行動、わずかに繋がっていたキルタイムとのパイプにより、まだ銀が『賢者の石』所有という情報を得る。その他小事もね)。
 劇的に動くのは、条約五日目。破られるまで二日のところ。

 ロッカク堂の門を叩いたのは、三人の怪しいマント姿。

「ここしか……なかった」

 そう呟き、二人に支えられていた一人が、店の中に倒れこんだ。続けて一人もその場に膝をつき、もう一人は本当に気だるそうに言った。

「……はあ、だるかった」

 膝をついた一人は、ただ本当に心からの一言。

「……無念」

 倒れこんだ一人にすぐさまかけよったアレックス。ある種の直感ですぐさま『癒しのナイフ』をマント越しにその人物へと突き刺した。シンカは驚きながらも、すぐさま店のメンバーに行き倒れの治療をテキパキと指示し始める。

「すまぬ……のう。アレックス」

 弱弱しく声を吐いたのは、アトラだった。膝をついたヤミハルを、後ろから心配そうに見つめている巨大な黒ワイバーンが、表通りに人だかりを作っていた。気だるそうで、今にも倒れそうになりながらも、決して倒れないクサモチだけが、怒りと悔しさを眼にたたえ、立っていた。
 カイド三人組が、ようやくロッカク堂へとたどり着いた。
 もちろんアメツキには、語っていない部分が多々あった。
 まず、自身も昔バグの塊ともいえる、【災厄】(黒い塊)を、アイゼン、銀とともに触れ、浴びていたこと。そしてシンリが実は、アメツキ自身のペット:ミックスブラッドキャットの魂を使って作り出した【偽プレイヤー】であること。そしてそのシンリの体のベースが、数々の【禁忌の武具】から作られていること……などである(きっとみんなキルタイムが昔【禁忌の武具】を集めていたことをわすれているだろう)。
 補足をすれば、【災厄】も【禁忌の武具】もその性質は似ており、プレイヤー達の『意識』を強制的に変えるほどの強い『認識』をさせるアイテムであると言える(【災厄】はアメツキ、アイゼン、銀の変貌を見ればよいし、『チェルノブイリ』、『ツングースカ』などに代表される【禁忌の武具】は、使用者を強制的にモンスターに変身させその精神を蝕む)。本来ならばこういったアイテムは『Live』自身が『プレイヤーを楽しませる』という存在目的から外れるため作られないはずなのだが、バグなので、あるいは人為的な何かが介入したので、なんとなく誕生したのである。
 さらに言えばプレイヤー達の意識を強制的に変えるシンリの『カリスマ』も、【災厄】や【禁忌の武具】の性質に近い。皮肉なことにも自身が世界を滅ぼすバグ【禁忌の武具】ベースにできており、バグに近い力を持っていることに気づかず、シンリはアメツキに刷り込まれた『世界を守る』という行動を貫こうとしているのだ。そして自身でそれを知らない。そんな恐ろしいほどの皮肉に、アメツキは腹がよじれそうになるのだった。
 そんなわけでシンリはもちろん、アメツキに都合の悪い記憶は消されているし、プレイヤーではないのでログアウトなどできるはずもない。唯一与えられた力『カリスマ』も、呪われた力なのだが、

 シンリは、知らない。

 もう一つ、アメツキは、というよりも『キルタイム』は大きな隠し玉を持っているのだが。

 『その瞬間』になれば、わかることなので省く。

 こうして創られたシンリが、『世界を愛する』シンリが、どういった判断をするのか。それはわかりきったことではあるが、その苦悩を誰も知らないままなのは流石に気の毒だろう。シンリはもちろん世界を愛していたが、その分、今まで出会ってきた数多くのプレイヤーも愛していた。ポチも、ザクロも、走電も、リペノも、殺してしまった周も、周を慕っていたプレイヤーも、シムシの兵達も、アレクサンドルの民達も、カイドの人たちも、衆の人たちも、自分を罵る人達も、慕う人達も、敵達も、味方達も、出会ってきた人々、全てだ。全ての世界が、人が、新鮮で、美しく、たくましく、そしてただひたすらに大好きだったのだ。

94.世界、事実

2009年4月19日 Live2
 シンリ様、一つだけ、一つだけ聞いていただきたい。

 もっとも留意すべき点は、バグである。
 というよりも、ラグである。
 Live世界は大分、人気になり、大分、プレイヤーが増えてしまった。毎日多くのプレイヤーが死に、多くのプレイヤーがログインする。その繰り返しだったはずが、いつのまにかLive内のプレイヤーの絶対数は史上最高数を記録し続けていた。こうなることによって起こる害は、現在のMMORPGなどでも見られるように、『重く』なることだ。『Live』もその規模が幻想級にでかいとはいえ、コンピュータが作り出している。ゆえに処理が『重く』なることもありえる。そしてそれがさらにひどくなれば、『サーバー落ち』というひどい目にあうことも、ないとはいえないのだ。それはいわば、一時的とはいえ世界の消滅に等しい。ひどいにひどいことが重なれば、装備やお金のデータは消えるし、下手すればそれまでの『経験』さえ消えてしまう。ましてや、この一つの『世界』を構成している『Live』。どうなるかは想像もつかない。
 その事態に気づけども、あまり危機感を抱けなかったのは痛い。本来ならばその兆候は、一般プレイヤーでも感じ取ることができるはずのものだった。現にNET(元7-10)はその兆候にちゃんと気づいていたし、警告も促していた。だが、そこまでの危機感を、GM達でさえも抱けなかった、そして一般のプレイヤー達は全く信じず、受け入れもしなかった。それにはやはり、理由がある。
 簡単に言えば、そこから目を逸らしていたのだ。いや、『逸らさせられていた』が、正しいのかもしれない。プレイヤー達の『意識』を操っているのは、もちろんプレイヤー達の『意識』だ。だが、その『意識』を変えるものは大体が、さまざまなことを『認識』して行われる。つまり、さまざまな事柄を『認識』させている『Live』は、プレイヤー達の『意識』を間接的に操っているに等しいのだ。なんとなく難しそうに言ってみたかっただけなのだが、『Live』の存在目的が『プレイヤーを楽しませる』ことである限り、『Live』はプレイヤー達にバグを『認識』させたくないということ。そういうものだと感じ取ってもらいたい。
 だから、プレイヤー達、GM達でさえもが、『Live』の危機に気づけないのは、不可抗力なのである。一部にその危機を感じ取る特殊な感性を持ったプレイヤーがいたとしても、一は万には勝てない。

 と言った内容だった。アメツキがその場所で、話したのは。

「信じてもらえないでしょうね」

 アメツキは、粛々と言った。

「……」

 シンリは、答えられなかった。ポチも、ライも。

「しかし、」

 アメツキが剣を抜き、落とした。カラン、と音がした。それだけのはずだった。

「気づき、ませんか?
 気づけるはずです! 世界を愛しているあなた方なら!」

 その話を聞いた後だったので、シンリは『見た』。その剣の落下速度は、明らかに、おかしい。中空で、がちりと、一瞬止まり、落ちた。気づいたのだ。シンリは。ライは。ポチは。よく見渡せば、カーテンが一部ないし、椅子の足が一つ多かったり、少なかったりするし、まっすぐ引かれていたはずの絨毯は、今や皺だらけになっている。全てが、『ズレ』ている。

「シンリ様、あなたはもう『認識』してしまったのです」

 笑い出しそうなアメツキ、だが堪える。全てが台無しになる、その思い。全てはこの瞬間と、後に来る最高の瞬間のために。『特等席』に入るために。シンリの前へと、舞台へと現れたのだから。

「『Live』は! 『世界』は! そう、あなたの愛する『世界』は!

 今! 確実に『崩壊』へと向かっています!

 それに気づく者は少なく! そして、その原因は!

 『増えすぎたプレイヤー』なのです!」

 息という息を出しつくし、アメツキは言い切った。興奮を抑えきれず、胸を強くつかんで、叫びきった。

 ああ、そのときのシンリの表情が、ああ。
「おい、バメツキ。せいだいにフラグ折ったな。何が『「銀、何事も最後まではわからないものなんだ。だからこそ、この世界は楽しい。キルタイムできる」』ですか。明らか無理じゃないっすか。私のロノウェを返しなさい」

「……」

 銀とアメツキの会話抜粋。

 それはともかく、パワーバランスは一気に崩れた。シンリ軍五百名の到着を待たずとも、ポチ一人で町一つ、いや国一つの制圧など簡単だった。
 ここから瑣末なサブイベントは沢山あるが、重要な問題には当たらないので略す。概要だけ言えば、いくつも苦難はあったものの、シンリは『衆』『シムシ』『カイド』。Live三大国と呼ばれたそのまま三つの大国を、制覇したのだ。首都はそのまま『アレクサンドル』。国名はそのまま国王の名、『シンリ』になった。それは今やLive史上最大の国となった国、それがどれだけ『シンリ』という人物に依存しているのか表していた。
 名前のない中立国は完全に沈黙。最早その状況はLive世界の誰にも無視できないものとなり、あらゆる規制、つまりはルールが書き換えられていった。そのどれもが、あるシンリの意志に乗っ取っていた。

『世界を守る』

 そう、この抽象的で、理想的で、魅力的な言葉を元に、世界は作り変えられていく。シンリの色に塗り変えられていく。

 ――ああ、それと。さまざまなギルド、小国が『シンリ』に飲み込まれていく中で、皆さんがよく知っているあのグループも『シンリ』に加入したことをお知らせしなければならない。

「ご機嫌うるわしゅう、シンリ様」

 そう、われらがヒーロー。青い髪にやる気のなさそうな表情。もはや前時代のものとなった、シムシ特製軽鎧。

「われらがギルド、『キルタイム』。そして私、『アメツキ』。シンリ様と、世界の平和のために、ご尽力いたします」

 アメツキ、その他大勢。黒幕は舞台へと出てきた。 数多の降伏ギルドと同じく、数十分の面会時間とともに。

「久しぶりに会ったと思ったら、恭しいですね。いままでどうしてたんですか?」

 ポチの一言により、シンリは『キルタイム』を数多のギルドという認識から引き上げる。

「うん、久しぶりー、ぽっちゃん。いやあ、ちょっと、ね!」

 そしてあと少し、時。
 シンリとシシが対峙したのは、

「やあ、僕はなゆた四天王が一人、グランミィル」

 赤い髪の少年、そうまだ十五歳にも満たないような見た目の少年だった。

「とりあえず、なゆた様を邪魔するやつは――」

 すとん、という音がした。いや、むしろしなかった。

 グランミィルの首に奇妙な横線が入っていた。彼は唇を動かすも、空気が出ないのか、ぱくぱくと餌をねだる金魚のような真似をした。すらりと彼の首が体から外れて、後は凄惨な光景だった。

「――う」

 シンリが黙ることに耐えかねたといった様子で声を出した。逆にライは呆然と立ち尽くしただけだった。グランミィルの背後には、英雄級の力を手に入れた一人の青年が立っていた。

「シンリ様、ご無事で」

 両目が塞がっているポチは、血の涙の後を拭おうとせず、先に剣の刃にわずかに付いた血を振って落とし、うやうやと首を傾け礼をした。最早彼が以前の彼ではないことは明らかであり、時間軸などの常識さえ突破しそうな勢いがある。カタストラを退けてまだ五分も経っていない。もちろんシンリ軍は追いついていない。リペノさえも。

「では、次の敵は何処ですか?」

 そのとき既に、なゆたが無数の光球を携え、中空に躍り出ていた。ありえないジャンプ力である。

「あれですか?」

 シンリの答えを待たず、ポチは前に一歩出る。その一歩は一歩でありながら、誰にもシンリに手を出せることができなくなる一歩だった。

「【オールオアナッシング】、この光球に触れると」
「不要」

 敵の情報垂れ流しさえ切り、ポチは剣を再び構える。家をひとつ押しつぶし、白く巨大な龍の手がポチを捉え、民家の壁へと叩きつけた。ポチの姿は白い龍の手で完全に見えなくなり、民家の壁にはいくつもの亀裂が入るほどの衝撃が与えられた。

「ははははは!」

 なゆたが大笑いしながら、光球にポチへの殺到を命じた。その前に龍の手が同じく、ポチの手によって殴り飛ばされた。ヒジから骨ごと吹き飛ばされた白い龍の手は、ぐるぐると回りながら空へ舞う。
 次にポチは弾幕を全て 避 け た 。それ以外の表現が見つからない。誘導も、速度も、全ての要素を決定的に征服し、ポチは数十にもおよぶ光球の殺到を避けた。

「は……」

 なゆたの大笑いは、とまる。ポチは剣を親指と人差し指の力だけではじくと、白龍の頭の部分を建物越しに見切っていたのか、するりと障害物の間を縫って、剣が龍の下顎へと突き刺さった。コンマ秒後には、剣は完全に白龍の脳へと達し、その意識を奪った。ちなみにそのとき逃げ出した元カイド軍軍師、シシの行動をポチが見透かしていないわけもなく、間もなく空から血の雨を降らせながら落下してきた巨大な龍の腕によって、軍師は押しつぶされあえなく昇天の結末を辿ることになる。

「僕の主の道には、邪魔だ」

 ポチの思想と、敵への手向けの言葉であった。光球が諦めたように自然消滅し、なゆたがLiveの自然法則にしたがって落ちてゆくのと同時。ポチは空手になったが、何にも不安などなかった。勝つ、負けるという概念さえ消えていた。ただ、彼はそう思ったから、そう行動し、それは実現する。
 ふいとポチはライの腰ベルトから短剣をするりと抜き出し、なゆたへ放った。その行動はもはやポチ自身さえも意識しておらず、ライは後になって自分の短剣がなくなっていることに気づくほどだった。
 するりと綺麗になゆたの額に突き刺さった短剣は、貫通するのを流石に諦めて、なゆたの脳を完全に破壊し、頭蓋骨に大きな穴とヒビを入れるだけで留まった。

「……いやいやいや」

 その光景は、誰もが、信じることが取り得のシンリさえもが、信じられない程度の光景だったという。
「喪失に伴う劇的な変化によるSSSランク昇格、固体ネーム:【ポチ】、を確認したよ、アメツキ」

「はっきりいって想定外。何の予兆もなかったよな? バリエッタと合わせて世界で二人目か。しかも今その【伝説】クラスがどっちもカイドに居るなんてな」

「世界崩壊が近づいてる影響と、バリエッタが近くに存在する影響二つが合わさったのかもしれないね。きっかけは【盲目】かもしれないけど」

「【盲目】だけじゃ、こうはならないだろう。それにしても、Sランクから一つ飛びとはやってくれる。常識をすべからく無視しやがって」

「私達に言えたことじゃないよねぇ、アメツキ」

「確かにな、銀」

「と、なると、シンリ軍には手を出しづらくなりそうだよ、コレ」

「元から手を出すつもりなんてないさ、というか、シンリが勝つ保証もない」

「何を言ってるのさ。シンリ陣営側にSSSが一人現れたんなら、もうなゆた陣営は涙目だよねぇ? あーあ、折角作ったのにねぇ」

「銀、何事も最後まではわからないものなんだ。だからこそ、この世界は楽しい。キルタイムできる」
【スキルロスト】 視力:B
【スキルロスト】 選眼:B

 ・
 ・
 ・
 ・その他視力関係のスキルロストが長々と続く――。

 そして、

(スキル関係のメッセージは、久しぶりだ)

 久しく成長が完全に止まっていたポチの、所感。
 実質、明らかにマイナス方向にしか、働かないこの現象、スキルロスト。今まで彼を彼たるものにしてきた、スキルレベルアップの早さ、と全く逆の現象が今引き起こされている。しかし、今まで劇的な成長を遂げてきた彼に、この更なる刺激は、新たなる可能性を提示した。

【スキルロスト】 成長:A

(……くっ……くく……)

 思わず、ポチからは、【笑み】がこぼれた。

(ははは……)

 急なスキルのロストが立て続いたことにより、スキルの成長速度を早める役目を持つスキルが引っ張られ、ロストした、といったところだろうか。それまで名前も知らなかったスキルをはじめて確認したポチは、なぜか笑いを堪えられない。先天性スキルロストという、バグにも似た珍しい現象に遭遇した彼は、幸か、不幸か。その、スキル【成長】が彼を成長させた所以であり、また、彼の成長を止めた所以でもあるのは、まだ誰も知らなかった。ポチ、その本人さえも。
 自分の所以さえ失ったポチ、彼が自分の中に見つけたのは、大きな、大きな、

 『無』の塊である。

 それの認識から、始まった。

 カタストラが消えた。人の認識を飛び越えた。最早、リペノが何をしようと関係がなかった。いつでも殺せる、関係がなかった。ただ、口元に笑みを薄っすらと浮かべたポチだけが、カタストラは許せなかった。

「死ね」

 またしても、この単語をカタストラは吐く。ゆらりと『動かなかった』のは、ポチだ。カラドボルグの光線は、ポチの首の皮の一枚目を焼き、ポチの鎖骨の表面部を焼き、ポチの右手の親指の爪の余計な部分を切り取って、止まった。これが一閃目。振り上げられた二閃目は、ポチの心臓の前の皮の二枚目までを焼き、のどぼとけの前数mmを通り抜け、あごの骨の皮一枚目を焼いて、鼻とまつげの間をとおり、22本の髪の毛を焼ききって、中空にて止まった。

「……カタストラ」

 呟きながら、さりげなくポチがさし出した左手が、カタストラの頬をするりと撫でた。寒気、怖気、混乱、狂気、さまざまなものが入り混じって、腕や足や胸や肩の骨や、さまざまな部分の筋肉がぶち切れる音を聞きながら、逃げた。カタストラは逃げた。あっさりと。さまざまな種類の死神がまだ追ってくるのを錯覚しながら。彼女は逃げた。逃げた。逃げた。

「……ああ、剣で切らないと、駄目だったのか……」

 ポチは、あるラインを、越えてしまったのだ。左目の傷から滴り落ちた血が、まるで涙のようだった。リペノは、発動しようとしていた能力を収め、彼に近づこうと努力を始めなければならなかった。
「リペノ、敵は相当強い! 下がれ!」
「嫌です!」

 ポチはリペノがそう答えるのがわかっていながらも、そう叫ぶしかなかったのだ。自分の体躯と同じくらいの刀を抜き放ち、振り下ろしたリペノ。空気を割るようなその一閃は、しかしやはり空気を感じさせる時点で、カタストラにとっては失格。
 チン、と。光り輝く線だけが、リペノには見えた。刀が真っ二つになって吹き飛ばされる前に、既にリペノの頭から右わき腹にかけて、カタストラはそう、既に光の剣を袈裟切る準備ができていた。濃縮凝縮聖剣【カラドボルグ】の効果は、その術者にまで及び、一時の光速を約束する。自身でも認識できない早さでカタストラは動いている。いや、最早『跳んでいる』。時間という概念を極限まで忘れ、その一閃は誰にも認識できない、はずだった。

「!」

 一閃し終えた。しかし、後からわきあがってくる手応えは、仕損じたこと。カタストラの肋骨と、わき腹の筋肉が綺麗にブチ切れる音がしたが、やはり本人は全く気にしていなかった。気にしていたのは、むしろ。

「なぜ?」

 ふともらしたのは、リペノだった。戦闘中ということを忘れ、完全に脱力した声だった。カタストラは、それを確認した。なぜ、『ポチがリペノを庇うことができたのか』、という疑問は後回しにし、カタストラは一瞬脱力した対象を殲滅するのが先だと考えた。

「死ね」

 短く、カタストラは呟いた。この二撃目までは、相当な時間が圧縮されていたが、そのカタストラの一言に、弾かれたようにポチのロングソードが舞う。そう、舞ったのだ。

「ポチさん!」

 リペノの叫びと、ロングソードの切っ先が聖剣カラドボルグを正確に抑えたのは同時だった。音もせず、スッと力点を見切り、最小限で止めたのが、誰でもわかる、とめ方だった。ある特殊な方面に興味がある芸術家なら、それを『芸術』と呼ぶのは辞さないだろうし、普通、並大抵の一般人でも、それを一目で見るなら、『美しい』という単語が浮かぶだろう。そんな圧倒的なポチの剣技だったが、それには圧倒的な疑問が付きまとった。リペノにとっても、カタストラにとっても、あるいはポチにとっても。

「……」

 そこでポチが選び取ったのは、無言による圧力である。カタストラは下がる。この一連の衝突は、わずか二秒に満たない程度。それはもう短かい間の出来事だったが、

「ポチさん!」

 リペノはまた叫んだ。カタストラの一撃目からリペノを庇う際に、切り、潰されたポチの左目から、血が滴り落ちた。彼は両目を失ったのだ。

 それが、引き金である。

  突然、訪れる。

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