・高橋冴

 ――え?

 私は今、飛び出した、はずだ。
 しかし、私は、何故か、立っていただけだった。

 ――何も、なかった。

 何もなかったはずなのに、違和感。

 私の左腕は、誰かに掴まれていた。
 私は――その――誰か――を

 「――バカ――」

 何故か、罵倒したくなった。
 
 ――幸せそうに微笑みながら、誰か(弟)は目を閉じていた。倒れながらも、誰か(弟)の右手は、私の左腕を、しっかりと掴んでいた。誰か(弟)は、本当に、眠るように、穏やかに、――でいる(?)。

 「闘」わなければ、という炎の意志は、冷たく、鋭い不安に消されそうだった。

「おい、どうした? 死んだふりか?」

 誰か(弟)を揺する。

「――いつもの、憎まれ口はどうした?」

 誰か(弟)を揺する。
 今度は、強く、揺する。
 誰か(弟)の声は、聞こえない。

「お前は、死んでも死なないだろ」

 そうだ、なんてありえない。
 強く、強く揺する。信じたくナイ。信ジラレナイ。
 誰か(弟)の眼は、開かない。

「そうだろ、お前は殺しても、死なないよな」

 私は誰か(弟)の顔を直に見れなくなる。
 誰か(弟)の顔は、あまりにも穏やかで。

「私が、鍛えてやったじゃないか」

 絞るように、言葉を出す。
 誰か(弟)に向けた言葉。
 それは誰にも届かず、空気に溶けていく。

「答えろ! シュウ!」

 ――そんなに強く揺すらないでくれ……姉と一緒にしないでくれ……俺はひ弱なんだ――
 遠くで、誰かが、言った。(ように聞こえた、幻聴だ)

「どうして――」

 しばらく忘れていた、胸が詰まるような感覚。
 胸から眼へあがっていく「水」を止めるすべはなく。

 ――また、誰かが、言った――

 ――鬼の目にも、涙……だな。――

 幻聴だ。ああ、でも、幻聴でも、幻想でも、良かった。
 白い背景が頭一杯に広がった。そこにシュウの笑顔が浮かび、すぐにマッチの火のように儚く消えた。
 積み上げてきたものは、一瞬で消えた。

 まだ私を離さないシュウの右手は、段々冷たくなっていく。

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