秘密基地

2006年3月7日
「ユミコがやられた」
顔が煤や泥で真っ黒なユウが言った。
「下半分、吹っ飛んでた。地雷か爆弾か。恐怖のあまり逃げ出そうとしたんだろ。スリルな人生を味わえて幸せだったろうな」
ユウは黒い筒状の物、自分の背丈の2/3はあろうかというレーザー銃を担いで立ち上がった。
僕もユウ程の大きさではないが、この時代では一般的なレーザー銃を抱えて立ち上がった。
「そうか、3-B地区まで下がるぞ」
僕は淡々と言い、走り出した。

今の時代生きようと思えればどこまででも生きれた。
病気は全て直るし、若返ることもできる。腕がなくなったらつけ替えれるし、首が落ちても脳の鮮度が保たれているうちなら生き返れる。

何処までも生きれる、は正しくないかもしれない。

「死」の恐怖から解放された人類は、何故か「死」を求めた。本当にちんぷんかんぷんな生き物である。
「死」は生物にとって最大の恐怖というか避けがたいものというか、義務である。それから解放された後、人類は「退屈」と戦わなければなかった。
そして結局、死という人生の中の大きな波を失った人類は、何故かまた死の恐怖を味わいたくなった。

結局「死」があるから「生きる」があるのだろう。

政府は殺人を合法化し、いつでも死の恐怖を味わえるようにした。街中では挨拶がわりに銃を撃ち、その時被害者は死にたかったら死んで、死にたくなかったら救急車を呼んだ。脳内に埋め込まれたチップにより、痛みや恐怖も消せるのでなんということはない。死の恐怖を味わいたいのではなかったのか。

矛盾だらけの生物だ。

そして大人たちのそんな都合は、僕たち子供には関係なかった。
街中でピュンと撃たれて、脳に当たればいくらこの時代でも死ねるし、まだまだ人生を楽しんでいない子供なのだ僕らは。
そんなこれからの人生への期待を胸に抱く純粋無垢な僕たちを、狙うのは生きていない大人たちだった。僕たちの期待や希望でいっぱいの顔を絶望感や恐怖で埋め尽くすのが楽しいらしい。なんじゃそりゃ。

3-Bへのゲートが見えた。大人たちの侵攻は止まる気配が無い。この秘密基地もいつまでもつのやら。

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